ウォーホル『ぼくの哲学』

アンディ・ウォーホル『ぼくの哲学』
イングラム『僕はウォーホル』

    20世紀ポップアートの革命を起こしたウォーホル。マリリン・モンローから毛沢東や、キャンベルスープ缶までサンプリングした作品は大きな影響を及ぼした。『ぼくの哲学』は、ウォーホルが、美、愛、死、成功、ライフスタイルを語ったもので、フラットでクールな虚無的な思想が述べられていて面白い。イングラムの『僕はウォーホル』は、アンドリュー・レイもきれいなイラスト付き、その人生と作品を描いている。
   「僕の絵や映画、僕自身の表面を見てくれればいい。そこに、僕がいる。裏を見たってなんにもない」という「鏡」的で平面的な作品観が述べられている。日常的な商業美術を、「工場」でポラロイドで撮りシルクスリーンで加工し制作する。高度大量消費社会の美術、そこには芸術にロマンチックな高尚な幻想はない。
    芸術を商売であり、一番魅惑的なアートは商売的成功をあけていることだ。「ぼくはいつも残り物で残り物のことをするのが好き」というウォーノルは、残り物にはユーモアがあり、リサイクル作品だともいう。無駄を無駄のままにしない、作品をリサイクルし、人間をリサイクルし、ほかの作品の副産物で自分のビジネスができる。だがペットと食べ物は例外だというのも笑える。
    アートとは唯一無二の創造作品という概念を覆した。足フェチというウォーホルの数十足の女性靴を1950年代の作品から、キャンベルスープ缶やモンローの唇まだの複製的反復のシルクスクリーン作品の「クールさ」は、イングラムの本でも十分に解説されている。1960年代アメリカの雰囲気が感じられる。
    死について「ぼくは死ぬということを信じていない。起こった時はいないからわからないからだ。死ぬ準備なんかしていないから何も言えない」と語る。一度拳銃で撃たれ死に瀕するが生き返る。だが58歳であっけなく死ぬ。イングラムの本では「あまりあっけなく終わってしまう」という言葉と、最後の日々を描く。「死と惨劇」や「頭蓋骨」シリーズのシルクスクリーン作品に触れている。ウォーホルは、「死」をポップな明るさでくるみこんでいるのだ。(『ぼくの哲学』新潮社、落石八月月訳、『僕はウォーホル』岩崎亜矢監訳、安納令奈訳、パイ インターナショナル社)