木村幹『日韓歴史認識とは何か』

木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』

     木村氏によれば、歴史認識は植民地期の「過去」の問題である以上に、1945年から70年に渡る「現代」の問題だという。木村氏は2001年金大中大統領と小泉首相の合意による「日韓歴史共同研究」に参加したが、両国の歴史研究者の間で「何が議論すべきか」から違っていともいう。両国の「歴史認識」が相違していて、それが違えば「共通教科書」は作れないのは、当然だと木村氏は見る。
     この本では、1980年代以降、歴史認識問題が何故悪化したかを、両国の政治・社会状況から解明している。1970年代まで注目されなかった従軍慰安婦が、80年代から急激に問題化したのは、韓国の女性問題運動家(フェミニズム)からで、当時日本人など外国人の買春観光(キーセン)の反対運動であった。外国人による韓国女性の人権蹂躙の先行事例として、慰安婦問題が浮上した。再発見韓国内の文脈で始まった。
     90年代初頭の慰安婦問題は、その直前までの戦中の労働者の強制連行の延長から動員過程の強制性が中心だった。だが、労働者の強制連行訴訟が日本国内で敗訴して、慰安所での人権蹂躙に問題が移行してきたと、木村氏はいう。
     さらに、宮沢政権や村山政権の混乱が不信を増大させた。最初は「軍関与」を、一転し関与を認め「反省」を連発した。村山政権では、閣僚による日韓併合の正当性の「妄言」発言が出て、村山談話アジア女性基金も不支持になり、蘆泰愚政権は慰安婦に対する「適切な補償」を要求する。
     他方冷戦の終焉は、日本でも97年「新しい歴史教科書をつくる会」による、東京裁判史観・自虐史観が運動化し、2004年の検定教科書から慰安婦の記述は姿を消していく。両国ともエリート統治層が不信をもたれ「ポピュリズム・ナシヨナリズム」が勃興してきたと木村氏は指摘している。ポスト・ポピュリズの時代は、ナショナリズだけが残された。日本でも、「韓流ブーム」から「嫌韓ムード」へと急激に変化する。
    木村氏は、両国の歴史認識の変遷を、冷静に客観的に分析していく。歴史認識を3期に分け(①戦後処理の時期②沈黙の時期③戦後世代の登場と歴史再発見の時期)その変遷を「現代史」として考えていく。戦後70年に読みたい本の一つである。(ミネルヴァ書房