長谷部浩『野田秀樹の演劇』

長谷部浩野田秀樹の演劇』

    1980年代駒場小劇場から出発した野田秀樹の演劇は、身体の速度と、言葉遊びのめくるめく舞台を創造した。だが、92年「夢の遊眠社」を解散し、1年間英国に留学してからの野田演劇は、大きく変貌している。長谷部氏は、94年の「キル」から、2013年の「MIWA」までの23作品の舞台を欠かさず見て、野田の変貌を描いている。
    長谷部氏によれば、21世紀にかけ野田演劇は、政治性・社会性を強めており、メッセージ性が危機感とともに表面に出てきているという。天皇制を軸に、日本という国家とその国民性を見据える普遍的作業だという。
   1999年の「パンドラの鐘」は、原爆投下と昭和天皇批判を基層に秘め、、古代と現代・終戦前後を往還する劇構造で、女王との身分違いのラブロマンスに、女王の民衆のための自己犠牲を描く。跳梁する家母長と自立を目指す少女の葛藤もある。
   「赤鬼」は差別と被差別の相互往還を、共同体の排除・疎外を、人肉食というセンセーショナルを重ねている。「オイル」は、イラク戦争批判を秘めていて、へリコプターの轟音と機銃掃射が響く。長谷部氏は、中東から石油を収奪するため戦争へと突き進む日本の批判を見ている。過去の戦争と悲惨を「死んでも老いて、腐って溶けて、それでも忘れぬ」決意の主張である。
    オウム真理教事件(「ザ・キャラクター」)や、満州731部隊を「エッグ」で、最近では美輪明宏の伝記をもとに、長崎原爆投下と結びつけ「原爆の光景で受けた衝撃が、どんなかたちであれ、人が人を愛することの肯定」に結び付いて描いていく。(美輪氏も野田氏も長崎出身だ)
    だが、野田演劇の変貌は、社会的メッセージ性だけではない。長谷部氏は歌舞伎への接近を挙げている。2001年歌舞伎座中村勘九郎主演「研辰の別れ」さらに「鼠小僧」と野田版歌舞伎が上演された。喜劇の要素も取り込み、集団暴力とメディアのスケープゴート形成が主題になった。歌舞伎の現代劇化である。
    演劇手法も、舞台上の物と俳優の身体が、一人一役でなく、二重・三重に入れ替わる重層性を帯びているのも、斬新だ。10数年間にわたり、野田演劇を追跡してきた長谷部氏だから書けた力作である。(河出書房新社