青木理『抵抗の拠点から』

青木理『抵抗の拠点から』

     2014年言論界・メディア界の出来事では、「朝日新聞」の「慰安婦報道」の検証・取り消し紙面による過剰な朝日バッシングを、引き起こしたことがあげられる。フリー・ジャーナリスト青木氏は、この本で「朝日問題」の核心を、当事者の朝日の記者たちに取材し、メディアとジャーナリズムの危機を抉っている。
     青木氏は、誤報が批判されるのは当然だが、「売国」「国賊」という罵声が飛び交う常軌を逸したバッシングや、安倍政権の朝日批判が、「権力の監視」や「調査報道」のジャーナリズムの核心を守れるかを憂えている。
     元朝鮮人従軍慰安婦の証言を報道し、いま「売国奴」と呼ばれ、勤務先の大学まで脅迫された植村隆氏への7時間にわたるインタビューを、青木氏は行っている。
     植村氏は記者になってからの仕事について率直に話している。差別や人権に興味をもった植村氏は、デスクの命で、慰安婦取材に取り組んだ経緯や、思想的前提も持たず、また91年の記事は日韓両国の深刻な外交問題になると思っていなかったことも明らかにしている。
     攻撃を受けた「慰安婦」と「挺身隊」の混同や、証言者が「キーセン学校」に行っていたことは、当時は大きな問題でなかったことも述べている。慰安婦を否定する人たちは、元慰安婦と、ほとんど向き合ったことがないという言葉は重い。
  元論説主幹の若宮啓文氏のインタビューは、済州島で100人の女性を拉致し慰安婦にしたという吉田清治証言は虚偽性があると疑い、97年に検証記事をおこなったが、そのとき思い切って取り消すべきだったと語っている。企業の「過剰防衛」が優先されたという。また安倍政権打倒といった「社是」などないことも、明らかにしている。
     青木氏は、植村氏も若宮氏も偏向した主義の持主でないにもかかわらず、こんなに批判されるのは戦後民主主義の良識を持つ(歴史修正主義にも批判的)とされる朝日の記者だからだと述べている。辞任した前報道局長・市川速水氏に取材し、青木氏は「過剰防衛」はあったが、メディア組織として意図的に、戦略的に慰安婦問題に取り組み、政治問題化させようとした意図は感じられないと述べている。
     外岡秀俊氏(元東京本社編集局長)のインタビューは重要である。外岡氏は、検証記事を長年放置した上に、その報道が与えた影響の言論がなく、お詫びもなかったことを自己批判している、間違いの「訂正」の重要性をあげ、読者との信頼回復が必要だという。歴史認識問題と原発問題が政治問題化しすぎ、事実関係、国際関係が冷静に検証されなくなっているともいう。
     他メディアによる相互批判は必要だが、寛容と反排他主義が大事で、今の日本では「言論の許容度」が狭くなっており、戦前の満州事変後の朝日の「転向」で、軍部の翼賛体制に移行した歴史に戻らぬようにと述べている。
     私は、他メディアが、朝日の慰安婦報道の間違いを、スケープゴートにして「傷つけられた日本の名誉が少しでも回復するよう」(読売新聞編集局『朝日「慰安婦」報道』・中公新書ラクレ)にと批判するのは、問題のすり替えだと思う。歴史には、どんなに否定しようとも、植民地支配による被害は存在する。それを認め、責任を持つことこそ、日本の愛国の誇りになる。また間違いを正し事実に近づくことが、「報道の自由」とメディア全体の信頼回復にもなる。(講談社