ペソア『不穏の書 断章』

フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』

      イタリアの作家・タブッキは、ポルトガルペソアを「詩人にして変装の人」と呼んだ。(『夢のなかの夢』)
「私はなぜ、あらゆる人 あらゆる場ではないのか!」
「詩人はふりをするものだ /そのふりは完璧すぎて/ほんとうに感じている/苦痛のふりまでしてしまう」
      ペソアは70ほどの異名で詩や文章を書いた。どこにペソアがいるのかわからない。現実のペソアは、リスボンの下町の貿易会社で生計のため、貿易通信文を翻訳し、孤独で独身の人生をおくり、47歳で1937年に死んだ。生前はかわれなかったが、いまやカフカリルケのように、20世紀文学を代表する一人となった。
      「わたしとは、私と私自身とのあいだのこの間である」「私があらゆることを想像できるのは、私が無だからだ」ペソアには、多重人格的で、自己同一性への否定がある。決して存在しなかったものへの「郷愁」がある。「宇宙のように複数であれ」。
      だから、「ただ夢だけが永遠で美しい」といい、「現代芸術の主要な特徴は『夢』という一語に要約されよう」という。偶然で不確定で動的に流動する存在が、ペソアに感じられる。
      『不穏の書』は、520の断片からなるアンチロマンであり、異名で書かれている。おまけに未完成なのだ。無限の空間の沈黙と「無」を、リスボンの日常生活のなかで、街路を散策しながら「倦怠」をもって、自らの「他者」になっていく。「運命は、ただ二つのものを私に与えた。会計帳簿、そして、夢をみる才能。」ポルトガルが産んだ20世紀文学の傑作がある。名訳である。(平凡社澤田直訳)