与那覇潤『中国化する日本』

輿那覇潤『中国化する日本』(増補版)

  今年のサントリー学芸賞を受賞した福嶋亮太『復興文化論』は、座標軸に「中国化」を参照して、日本文化史を描いた。2011年に日本近代史を、「中国化」と「江戸時代化」という二項軸で斬り、日本近世・近代史の既存イメージを逆転したのが、輿那覇氏だった。「西洋化」は、第三極になっている。
  11世紀の中国・宋時代がグローバリズムとしての「近世」の始まりであり、西欧よりも早い。貴族制度を全廃し、科挙という国民的選抜で行政官僚エリートのもと皇帝専制政治をおこない、貨幣使用により経済や社会を市場自由化し、流動的雇用で、セーフティネットは全国に広まった「宗族」が救済し、儒教イデオロギーで正統化する「中国化」が始まった。
   だが日本は宋朝を真似しそこない、「中国化」を行おうとする平家、後醍醐天皇足利義満みな続かず、失敗する歴史を輿那覇氏は描いていく。日本は長期安定政権の徳川期に、中国とも西欧とも違う第三の道として「江戸時代化」を行う。それが、現代の「再・江戸化」まで続いていくという。
   輿那覇氏がいう「江戸時代化」とは、派閥談合と農村コミュニティの結合の家職による身分制囲い込みのムラ社会(近代は会社)であり、中国的グローバル拒否の鎖国化であり、次、三男の都市への切り捨てであり、セーフティネットを「イエ」に置く特殊社会だったという。
  この切り口で、日本近現代史を大胆に切っていくのが面白い。昭和日本と軍部独裁を「再江戸化」で論じ、「中国化」が敗れ、日中戦争でも敗北していく歴史過程の指摘も面白い。「封建制」から「郡県制」への葛藤として現代政治も捉えられている。小泉政治が第一の「中国化」であり、橋下政治が地方の「中国化」だという。だが「長い江戸時代」はまだ続く。
  「西欧化」の法の支配、人権、議会制民主主義との葛藤もとりあげられているが、日本は次第に「中国化」しつつあるというのが、「中国化+リベラル」を標榜する輿那覇氏の見方である。増補版では、宇野常寛氏との対談があり、興味深い。(文春文庫)