山下博司『古代インドの思想』

山下博司『古代インドの思想』

     インド古代思想となっているが、気候変動や風土的自然の側面から古代インド世界の文明と宗教を捉えた面白い本である。中村元の名著『インド人の思惟方法』(春秋社)は、思想に集中しているし、これも名著である辻直四郎『インド文明の曙』(岩波書店)は、古典ヴェーダとウパニシャットを精緻に分析している。
山下氏は、気候学者の知見や風土論により、古代宗教思想の成立を解明しようとしている。だが、環境決定論に陥らないために、民族社会・歴史的・考古学的な分析も併用している。
     インダス文明(紀元2000年ごろ)は、河川都市文明で、ハラッパー遺跡の発見で、その広域性。文化多様性が見直されている。だが、地球規模の寒冷化・乾燥化の環境により大きな影響を及ぼした。乾燥と湿潤の交代や、乾季と雨季の両義性は、水の聖性や沐浴重視、女神崇拝、生命主義、ヨーガと生殖儀礼など、のちの仏教、ヒンディー教との絆が見られると、山下氏は指摘する。印章文字はまだ解読されていない。
     紀元前1000年のアーリア人侵略は、ヴェーダ聖典によるバラモン教を創り出した。山下氏はパンジャーブ地方のモンスーン気候風土が、ヴェーダの神々に反映されたと考えている。自然の猛威はインドラ神に、マルト神群は暴風雨に、パルジャニヤ神は降雨に『リグ・ヴェーダ』に現れわれてくる。
     アーリア人が東に向かうと森林と出会う。そこで遊牧民的世界観から森の民の不殺生、菜食主義、森での瞑想、輪廻転生の思想が生まれてくる。神の祭祀から自己への沈潜へが「梵我一如」のウパニシャット思想に深まる。仏教と雨の関わりも面白い。教団の成立と雨季の関係を考えている。砂漠の民と森の民の並立が、古代インド宗教思想の基盤となっている。(ちくま新書