宮上茂隆『大阪城』

宮上茂隆『大阪城

     戦国時代の大名たちは、建築・土木業者でもあった。土建国家(天下普請)の原型はここにある。信長が築城した安土城は、日本建築史に輝く名城だろう。その復元の全貌がいま明らかになっている。その延長上に、豊臣秀吉が建築した大阪城がある。建築史家・宮上氏による「日本人はどのように建造物をつくつてきたか」の新装版は、秘蔵された図面を手掛かりに秀吉が築城した大阪城を復元している。イラストを穂積和夫氏が描いていて、美しい。
     本来の大阪城は、江戸時代に徳川氏が直した城とは全く違うことがわかる。秀吉は大阪城の全体像を黒田官兵衛に「縄張り」させることから描いている。官兵衛は軍師だけでなく、優れた城の設計者でもあった。奈良・法隆寺村に住む四大工家・中井正吉が設計始めすべての指揮をとり、その配下の大工や職人が建築工事に携わった。大阪城は、奈良寺院の木造建築の伝統に繋がっているのだ。
     宮上氏は、中井家に伝わる本丸図や天守閣図を基に復元していく。あと大阪夏の陣屏風だ。平面図から立体構造を、木造建築の規格化の伝統技術で再現していく。近畿からヒノキなどの木材を大量に伐採させた。室町期から大鋸という縦引きののこぎりが中国から輸入され、威力を発揮した。
     この本では、表御殿、対面所、台所、御殿・御納戸、茶の湯座敷、までの建築がイラストで描かれ分かりやすい。天守は、安土城にならって建てられたが、宮上氏は古図面から、地下2階、地上6階だったとし、ねずみ漆喰の壁、耐震の通し柱、黒漆塗りの窓、下見板、破風、木連格子、屋根瓦など詳細に描いている。
     大阪城は、巨大木造建築だが、同時に巨大な石垣普請の建築である。生駒山麓や六甲山麓さらに淡路島の花崗岩が採掘され、大阪に数千人の人夫で人力で運搬され、石工がいかに加工し、石垣を崩れないように摘んでいくかの技術は、技術国家の先駆けを思わせる。
     この本は、大阪の冬、夏の陣など歴史にも触れており、また大阪の街がいかに大阪城とともに造られていったかの都市計画の側面も書かれている。建築史であるとともに、大阪史でもある。イラストが良いから、中学生でもやさしく読めるだろう。(草思社、イラストレーション穂積和夫,新装版)