モディアノ『家族手帳』

パトリック・モディアノ『家族手帳』

 今年度ノーベル文学賞のモディアノ氏の小説は、失われた記憶を探し求めていく。「生きるとは、記憶を完成しようとすることだ」(ルネ・シャール)の言葉が題辞にある。
 だが、プルーストの『失われた時を求めて』に比べると、プルーストが意識の流れに沿って連続的に滑らかに記憶が流れているのに、モディアノ氏は、断片的記憶のジクソーパズルを埋めるような四苦八苦な探究がある。
 また自分が生まれる前の、父母のナチ・ドイツ占領下の記憶までも埋めようとしている。ユダヤ人の父が出自を隠し逃亡し、自分がどこで生まれなんという名前かも分からず「消された記憶」を探そうとする記憶探索者になる。自己のアイデンティティが不確定な「根なし草」的な人物が、この小説のも多く登場するのだ。
 この小説の冒頭に主人公に娘が生まれ、戸籍に名前を出し、子どもが生まれた時交付される「家族手帳」の場面から始まるのは、象徴的だと思う。そこから自分の断片的記憶からの記憶探索が始まるのである。
  これは単なる自分探しの旅ではない。そこにはナチ占領下のユダヤ人迫害に、フランスもいかに深く関わっていたかが暗示されている。
 政治的敗者、生活敗北者、流謫者、根なし草の人びとが、モディアノ氏の小説の登場人物を占めている。記憶を失いたくても、失えない人々の苦悩が描かれていく。
    失われた父親や祖母、母、叔父などへの哀惜の念が強く感じられる。やはり「失われた時を求めて」なのだ。(水声社、安永愛訳)