モディアノ『八月の日曜日』

パトリック・モディアノ『八月の日曜日』

    今年のノーベル文学賞受賞したモディアノの1986年の作品である。映画を見ているような感覚ですぐ読了した。モディアノ作品がいくつか映画化されているのが良くわかる。(「イヴォンヌの香り」など)ミステリ仕立てであり、ジューヌ・ヴェルヌの小説にも描かれた巨大な不吉な「南十字星」というダイヤモンドも登場して、重要な役割をしている。
  マルヌ河岸の白黒映像と、ニース海岸のカラー映像が対称的に舞台になっていて、それが絡み合って謎を深めていく。マルヌ河岸で若い写真家が、人妻シルヴィアと恋仲に成り、ダイヤ「南十字星」と共に、ニースに逃避行する。だが、ニースで夫とダイヤの取引の男と巡り合うことから、この小説は始まり、次第に謎があきらかに成っていく。
  この小説の登場人物は、みなきちんとした職業を持っていない得体の知れぬ人物ばかりである。シルヴィアの夫はよくわからぬブローカーだし、ニースと名乗る男も庭師の息子かもしれないが、宝石売買の詐欺的商人らしい。この語り手の若い写真家も、芸術写真を撮り出版するというが、実績はなさそうだ。市民社会における「渡り鳥」的存在なのだ。
  不安のなかの恋の逃避行物語と読むのは、浅薄だろう。ラディゲ『肉体の悪魔』との相似を指摘する見方もあるという。どこにも根をもたず、資本主義社会を流動していく定めなき、偽りの存在を描いていると思う。
    ニースでシルヴィアがダイヤと共に行方不明になって、宙吊りの状態で小説が終わっていくのも、凄い。訳者の作家・堀江敏幸氏は、モディアノの主人公がつねづねおそれている「置き去り」状態だと指摘している。
   現代社会に生きる「不在」と「空白」な人々の物語ともいえようか。堀江氏の訳文は名訳といえる文章である。(水声社堀江敏幸訳)