クリストフ『文盲』

アゴタ・クリストフ『文盲』

    クリストフ『悪童日記』(ハヤカワ文庫)が、映画化(ヤーノシュ・サース監督作品)された。ハンガリー生まれの亡命作家の傑作は、90年代にベストセラーになった。私事で恐縮だが、当時死ぬ前の同僚・黛哲郎学芸部記者に勧められ、読んだ思い出がある。
    『文盲』は、クリストフの自伝である。激動の人生を、『悪童日記』のように、感情に流されず、抑制された即物的ともいえる筆致で書かれているが、その個の生き抜く力の強さが伝わってくる。戦争と全体主義社会のハンガリーに生まれ、夫が反体制運動家だっため、難民としてスイスに亡命するクリストフは、21歳で生後4カ月の娘を抱えての難民への道だった。故郷喪失者になる。言語喪失者になる。
    この本を読むと、クリストフはハンガリーでの子供時代「ものを読まずにいられない不治の病」に罹り、兄弟や子供たちに嘘の物語を話す少女だった。「話し言葉」から「書き言葉」で、ものを書くことになるのは子供の時代の絆が切れ、不幸な日々が訪れ「いい思い出が無い」時期からだというのは、クリストフ文学が疎外からの治癒のために書かれたとも思う。
    スターリン全体主義で、少女は厳格な寄宿舎に入れられる。ここで密かに日記を書き、書いたものを誰にも読まれないよう「秘密の表記法」まで考案した。これが『悪童日記』にも生かされていると気がついた。寄宿舎の自由がない厳格な管理に、教師の物まねから、見世物の道化芝居で反抗する。後年クリストフの演劇作品は、ここに源泉があったのかと思う。
    ハンガリー語という母語は使えず、ナチ時代はドイツ語、ソ連時代はロシア語という「敵語」を強制されたという。後にスイスのフランス語圏に亡命し、一言も喋れず、苦心してフランス語を学び、小説を書くようになったクリストフは、自分の母語をじわじわと殺すフランス語さえ「敵語」と呼ぶ。「文盲」が、いかに敵語と「同化」し「統合」していくかの苦難。スターリンの死を聴きいう。ハンガリーアイデンティティと文化を窒息させたと。
    亡命者の社会的・文化的砂漠を綿々と、この自伝は綴っている。ものを書くことにより、民族語と故郷の喪失から再生しようしたのだと私は思う。敵語をもってして。そういえば『悪童日記』の主人公の子供は、双子だった。
私はこの自伝を読みながら、サルトルが幼少期を描いた『言葉』という作品を連想した。サルトルには敵語はなかったが。(白水社堀茂樹訳)