『短編で読むシチリア』

『短編で読むシチリア

  沖縄文学やアイルランド文学があるように、シチリア文学もある。シチリアは「紙の島」と言われるほど多くの作家を生んだ。シチリアエトナ火山の地であり、地震島である。
    その歴史はカルタゴギリシア、ローマからアラブ、ノルマン、フランス、スペイン、ナチ・ドイツなど多くの民族に侵略され、異民族支配と文化混淆の島である。無政府的な自力共同体のマフィア型社会も根強かった。
   この本では日本初訳の短編14編が集められ、シチリア近代文学の在り方が読める。デ・ロベルト、ヴェルガ、ピランデッロブランカーティ、ヴィットリーニ、ランペドーザ、シャーシャら7人の作家が取り上げられていて、興味深い。
    相次ぐ異民族支配による迷路のような歴史は、住民は期待と失望と、流動的状況に表面の形式性で生き続けようとする。それはファシズム期まで存続している。ピランデルロのように表面と深層の矛盾、真実の多様性、グロテスクな疎外者、カオス的な演劇空間が描かれる。この本でも「真実」「免許証」のように、裁判の場で真実が揺らいでいく。
   異民族支配やファシズム支配による人間性が歪められる状況は、ブランカーティ「奴隷のような人間」に書かれ、「幸せの家」などで、のらりくらりと女のあとを追ってくらす男たちが、正義や力を誇示する異民族やファシズムのインチキ性を見抜く。
  ヴェルガは、シチリア土着の民衆がその野生・獣性を含みもち、生きていく姿に肉薄し、映画『山猫』の作者ランペドーザは貴族社会の晩鐘を見ながら、土着の人間の変わらないことを夢見る。シャーシャは、法の枠外で生きるマフィア型社会の相互扶助性などを描き、シチリアの没落を暗示していく。
   島という閉鎖的空間に、外からの支配者の世界性が侵入してくる精神状況は、沖縄文学でもアイルランド文学でも、強烈な文学を生みだしてきたと思う。この本の翻訳は、須賀敦子に匹敵する。素晴らしいと思う。(みすず書房、武谷なおみ編)