マッツァリーノ『誰も調べなかつた日本文化史』

パオロ・マッツァリーノ『誰も調べなかった日本文化史』

    イタリア生まれの日本文化史家・戯作者マッツァリーノ氏の独創的な日本文化史・庶民史である。小さな具体的な事象から、日本文化を捉えている。土下座ブームや「先制」という呼称、クールビズとネクタイ、ダイエット広告、亡国論ブームなど、オヤッと思う視点から、次第に引きずり込まれ、日本文化論まで考えさせる。雑誌やネットだけでなく、新聞記事のデータベースを丹念に調べて間違った庶民文化史を正していく。
    テレビドラマで『半沢直樹』がブームに成った時、土下座を調べているというので、マッツァリーノ氏にマスコミから取材が殺到した。土下座は、古代から神や貴人に対する畏敬の念でしていたが、庶民には根付いていない。江戸期大名行列でも、下座とはしゃがみこむウンコ座りだった。
    明治維新の時、土下座は古いしきたりだから止めにして、明治天皇にも立ったまま頭を下げる「立礼」が正式な礼法になったという。土下座が畏敬の念から、現代的な謝罪や懇願になったのは、大正後期から昭和初期だという。江戸期に土下座が行われたという神話は、大正期以後の「大菩薩峠」、「丹下佐膳」といった大衆時代小説からだとマッツァリーノ氏は指摘する。
    土下座がトレンンディになったのは、1990年代で、テレビドラマにおいて、吉田栄作石田純一赤井英和佐野史郎中居正広らが続々と土下座場面を演じた。それが96年に下火に成り、今度は記者会見での土下座謝罪が多くなる。96年薬害エイズミドリ十字社長が土下座謝罪をする。水俣チッソ社長も土下座謝罪をした。企業のトップの謝罪会見が多くなる。勿論全部が土下座謝罪ではないが。「土下座外交」という国際的な言葉も飛び交う。
    マッツァリーノ氏は日本文化を「謝罪の文化」といい、欧米の「釈明の文化」と対比している。釈明文化は、何故こういう事態が生じたかを論理的・客観的に分析し、自己正当化を行う。日本文化はまず謝罪し、公開懺悔しても許されず「誠意」が足りないと、持続的に責められるというのだ。なにか「罪の文化」と「恥の文化」の二元論に似ているのがきになるが。最近では釈明のため第三者委員会設置が流行である。折衷方式かもしれない。
   土下座謝罪で、はたして企業の社会的責任は免責されるだろうか。「罪」に服し、再び過去を繰り返さない再建策を実行することが大事である。そういえば終戦時「一億総懺悔」という戦争責任の免責方法があった。 
    マッツァリーノ氏は、このように日本文化を俗説を批判しながら、観察し分析していくから、様々なヒントが示唆されていて興味深い本になっている。(ちくま文庫