チェンバレン『馬の自然誌』

J・E・チェンバレン『馬の自然誌』

    競馬で競争馬が走るのを見ると、心が躍る。人馬一体になった美しさを感じる。チェンバレンはカナダ・トロント大学名誉教授だが、祖父がアルバータ州の牧場主だという。古代から現代まで、中国文明やモンゴル大平原、さらにアラブからヨーロッパ、北米インデアン文化に至る世界史を視野に入れ、人間と特別な関わりをもつ馬の歴史を学際的に記述していて楽しく読める。
    チェンバレン氏は、馬を「魂をふるわせる動物」といい、気品、美、力の躍動というほれ込みようだ。馬は、人間のため働く馬と、野生馬の狭間にあるという。馬は放浪と定住の狭間、囲われている者と囲う者の狭間にいる。いまや野生馬は、人間の創造するしかない物になってしまった。石器時代の洞窟画から、人間と馬は合成生物に成ってしまっている。
    チェンバレンは北米インデアンのブラックフット族の馬文化から語りだす。馬の生態で、睡眠は少なく、牝馬がリードし、嘔吐や反芻ができない消化不良との闘い、夜眼が利き、直前や後方以外は視野が広いなどを描きだす。古代に狩猟馬、農耕馬として人間が馬をいかに制御し、馬が寛容にそれに答えていく歴史、ヒズメ、クツワ、クラ、アブミなどの馬具の発明と調教技術の発達が語られる。
    馬により移動と輸送が、グローバル・ネットワーク化をモンゴル帝国のように産み出す歴史も面白い。サムライや騎兵による軍事的利用と、サラブレットを産む血統の純血性の重視、それに車輪をつけ馬車文化の発達。それが人種差別と階級差別とともなうという指摘も興味深い。
    私が面白かったのは、ヨーロッパ騎士道には馬を中心に据えたアラブの伝統が反映しているという指摘だ、アラブとヨーロッパは馬文化で似通っているというのだ。古代言語で「馬」と「精神」は近しい言葉だった。中央アジア遊牧民族や中東の騎馬戦車部族の社会でも、イスラムの馬文化からキリスト教の騎士道、そしてアメリカの平原インデアンから、近代ヨーロッパの乗馬学校まで、馬で捉えた世界史が伝わってくる。
    なお日本史で私が面白く読んだ馬文化の本は、網野善彦・森浩一『馬・船・常民』(講談社学術文庫)だった。(築地書館屋代通子訳)