カー『ニッポン景観論』

アレックス・カー『ニッポン景観論』

    カー氏は、1964年の東京オリンピックの時12歳で、父の転勤で米軍基地に暮らした。70年代前半イェール大学で日本文化を学びながら、徳島県祖谷の古民家にほれ込み、住むようになる。日本の田園風景や京都の町並みに「美しい日本」を発見、亀岡市にも住み、長崎県小値賀町奈良県十津川村などで民家を改装し、滞在型観光事業を行っている。
    この本は、カー氏が日本の景観が、コンクリートなど近代的土建工事で失われ、いかに観光資源が破壊されていくかの国家的損失を訴えたものである。沢山の全国で撮影された写真により、ヴィジュアルに文明批判をしているから、景観が如何に損なわれて「観光立国の危機」であるかが良くわかる。
    カー氏は、まず電線、鉄塔や携帯基地局が景観をいかに損なっているかを示す。地下埋没が費用がかかるとか、地震国だからという理由を論破し、細かな規制と無政府的な景観を嘆く。先進国では地下埋没は当たり前であり、原発コストより安くつく。    
    さらに看板広告大国の日本は、世界でも珍しい国だという。行政の看板も多いのに驚いている。コンクリートの「前衛芸術」的オブジュエも写真でみると、景観を破壊している。いまや環境との調和が先端技術なのに、日本は高度成長期のままであるという。
     建築やモニュメントも、奇をてらうような人をびっくりさせるものが多く、ピカピカの「工場思想」の建物が景観を損なっている。そこには日本伝統の美意識はなく、古い物は恥ずかしく、世界に遅れているという「進歩的」テクノロジーの誤った考え方がある。
    日本が持っている宝物としての景観が持続するような美しい日本の「観光テクノロジー」がいまや必要だと、日本を愛するカ―氏は言うのである。カー氏が古民家に惚れ込む気持ちがよくわかる、(集英社新書ヴィジュアル版)