エーコ×カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

エーコ×カリエール『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』

    電子書籍時代が始まっている。老愛書家の作家ウンベルト・エーコ氏と脚本家・作家カリエール氏が、ヨーロッパ的知性で紙の書物を縦横無尽に語り合う。優れた対談は、二人の息があっているとともに,多様な脇道に入り込んで話が弾んでいくものだが、この対談こそ、そうしたものである。両人の博覧強記にも感動する。
    エーコ氏は5万冊、カリエール氏は3,4万冊の本を所蔵している。おまけに、古書や稀こう書の収集家なのだ。エーコ氏は、本は車輪の発明のような完成された発明品で、技術革新でもその運行は同じだと「知と想像の車輪」だといい、紙の書物は滅びないとも述べている。
    二人は、今残存している書物は、選抜とフィリタリングの篩い落としで残ってきたプロセスの結果であると話す。自然に失われ忘却していった書物と共に、検閲、無知、異端審問、焚書、図書館火災など「書物大量焼却の歴史」と切り離せないとも語り合っている。古代のアレクサンドリア図書館の大火災で、ギリシア古典は多く消失した。
    アリストテレスが『詩学』で傑作として挙げている悲劇は一冊も残っていず、残存する三大悲劇作品について、アリストテレスはなにも触れていない。愚作と見ていた。当時の優れた傑作は失われたのだ。図書館、博物館、シネマテークに残っているのは、抹消されず、記憶忘却されなかった物のみと、興味深い話題を語る。いまデジタルアーカイブでも、すでに抹消・忘却された記録や映画が、いくつも浮かび上がってきている。
    グローバル化時代には絶対的検閲は出来なくなったが、出回っている情報の真偽を確かめられずに、善意の情報提供者の夢想による情報捏造が存在することの危惧を、カリエール氏が述べているが、私は朝日新聞慰安婦誤報を思い浮かべて読んだ。
    この対談の面白いのは、両人が厖大な残存する書物に、愚かしく間違った阿呆な珍説の書物が多いことを、愛するという言説である。「珍説愚説礼賛」にまでいく。エーコ氏は、偽科学や神秘主義。間違い本の収集者だが、間違いや愚かさを示した本は、知性的で崇高な傑作の本と共に必要であるとも、両人の意見が一致しているのは面白い。愛書家とはそいうものだろう。
    エーコ氏は、グーテンベルグが印刷術を発明した15世末までの「インキュナビラ」という活字印刷本を探求しているが、私はこの対談で「グーテンベルグ聖書本」が、1987年の競売で丸善により490万ドルで落札され、その後96年に慶応義塾大学が購入したことを知った。興味深い。(阪急コミュニケーション、工藤妙子訳)