松山巌『須賀敦子の方へ』

松山巌須賀敦子の方へ』

  私は、須賀敦子といえばギンズブルグやタブッキなどイタリア文学の翻訳数冊と、エッセイ『ユルスナールの靴』(河出文庫)『トリエステの坂道』(新潮文庫)くらいしか読んでいなかった。松山氏は、生前須賀と親しく、また没後全集の編集を手掛け、この本では戦中戦後の須賀の生き方を深く追及している。松山氏は、須賀の縁ある場所を丹念に歩き、彼女を知る人に会い、詳細にその行動、考えを追っている。教養・成長小説を読むようで、感動する本だ。
  神戸のブルジョアの娘として生まれた須賀が、戦中や敗戦後の苦労や、家庭の不幸のなかで、気丈に自分の生きる道を求め、パリとミラノのヨーロッパに旅立っていく1953年の神戸港の場面で終わっている。だから、イタリア人と結婚し、死別し帰国し、文筆で女流文学賞を受賞し、1998年がんで死去する後半生は書かれていない。
  私は、松山氏の本で須賀が聖心女学院、聖心女子大時代の敗戦の50年代に、カトリックの洗礼を受け、カトリック左派といわれる労働司祭の道を追い求めていたことを知った。貧しいひとの中に入り込み、ともに生を生きるシモーニュ・ヴェーィユのような思想である。
   武者小路公秀氏や有吉佐和子も属していたカトリック学生連盟にコミットしていたことも知った。修道院に入らず、社会的共同体のなかで変革の道を歩むため、西欧に旅立っていく。戦後女性が、いかに自立していくかの先駆けの苦闘でもあった。
  私はこの本を読み、須賀が「両極性の人」だと思った。宗教と世俗社会、豊かさと貧困、男性と女性、母国と異国、父親と母親,放浪と定着、船中と戦後など両極の葛藤の中で、いかに自己の「人格」を鍛えていくかの求道の人だと思うのである。
  須賀の文体は、繊細な情緒的・抒情的な面と、構築的な論理的文体の二重性がある。それも両極性なのである。松山氏がフランス、イタリアでの後半生を描いてくれることを、心待ちにしている。須賀を読みなおしたいと松山氏の本を読み思った。(新潮社)