タブッキ『インド夜想曲』

アントニオ・タブッキ『インド夜想曲

   イタリアの作家・タブッキは、これは不眠の本であるだけでなく、旅の本であるという。出てくる場所のインド・ボンベイマドラス、ゴアの地名の一覧まで表示している。巻頭にはモリス・ブランショの夜に熟睡しない人間は罪をおかしていて、「夜を現存させている」という文章が掲げられている。
   「影」の探求であるこの「夜想曲」は、またインドの「光」である現実の印象深いシーンで描かれた旅行記でもある。タブッキには『逆さまゲーム』(白水社)という小説があるが、夜と昼、夢と現実が鏡像関係になっていて、逆さまという両極性がつながってくる。夢の旅行記は、リアルな現実の旅行記の逆さまの鏡像になる。
   この小説は、失踪した友人をさがしにインド各地を旅する主人公の物語である。この友人は何者で、なぜインドに行き失踪し、なぜ主人公は送られてきた手紙だけで探しにいくのかは、一切明らかにされていない。ミステリー仕立てである。
   最初のボンベイのホテルという名ばかりのスラム街から、患者が詰め込まれたすえた汗の臭いの病院、マドラスのバス停で出会う美しい瞳の少年のおぶっている兄は奇形の占い師であり、そうした旅行が最後のゴアの海辺のホテルまで描かれていく。
   失踪した友人は依然として身元不明のまま現れない。だが、最後に成って、タブッキの逆さまゲームの世界になっていく。探している主人公が、探されている失踪者であり、失踪者が「影」としてホテルのレストランに現れる。だが、どちらが失踪者なのか分からなくなる。失踪者と被失踪者の両義性とその円環性。
  この小説を「自分探し」として読むのは少し違うような気がする。ポストモダンの西欧の相対化による多元的世界像とも違う。タブッキは多言語主義者だが。勿論脱オリエンタリズムでもない。夜と昼、光と影、夢と現実、西欧とアジア、自己と他者などの両義性・鏡像性を追い求めた小説なのだと思う。(白水社須賀敦子訳)