木村敏『臨床哲学講義』

木村敏臨床哲学講義』

   木村氏は精神医学者であり、精神病理学の研究者でもあるが、患者と出会い、患者と対話し、心を病むとは人間にとっての生き方にどういう変化・危機を与えるか追及し、治療する「臨床」に徹し、それを臨床哲学として形成した。
   この本は、統合失調症や内因性鬱病、癲癇症などの精神病理が、木村氏の現存在分析の手法で解明されているが、同時に人間の心的現象が、多様に人間学的に説明されている。現代精神医学が、症状重視の診断基準で、対症療法的な薬物治療などが行われていることに批判的でもある。症状の背後にある「生き方」をあくまで重視している。
    木村氏は言う。「精神の病理の大元はある人がその人自身の『等身大』の生命を、『宇宙大』の生命との関係でどう生きるか、その生き方の局面にある」。
    木村氏には『時間と自己』(中公新書)という著書もあるが、時間論で精神病理をこの本でも説いている。統合失調症は、私が他人とは別個の自己であるという「自己の自己性」を自然に実現できない。だから自己が自己自身になる未来を、到達しがたい理想として追い求める。自己自身に成るためには自己を振り棄て、超越論的な共通性、共同性の場に立たなければならないが、それが難しい。達成されない自己存在の「祝祭」を未来に絶望的に追い求め続ける。
   内因性鬱病のメランコリーは、自己の自己性が共同体内の自己の役割遂行にすり替えられ、それが恙無く完璧に果たされることが大切であり、その持続する過去が挫折すると鬱病になる。木村氏は躁と鬱を双極性で捉え、過去の日常性に囚われ過ぎると「内なる自然」が躁的な祝祭を求めることが生まれるとしている。
   もう一つ、その人の現存在がそのなかだけで自足していて、未来も過去も問題にならない「純粋現在」に生きようとする内因性癲癇の発作を挙げている。大発作の全身痙攣にしても意識喪失にしても、個別化を撤回して、生命という個人と宇宙の一体化を回復しようとすると、木村氏は指摘している。
  木村氏が、浅田彰氏の「スキゾ人間」と「パラノ人間」の分類(『逃走論』を評価しているのも面白かった。(創元社