坂井孝一『源実朝』

坂井孝一『源実朝

  「山は裂け 海は浅せなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも」
    鎌倉八幡宮で暗殺された悲劇の源氏三代将軍・実朝は、「金塊和歌集」の歌人として、繊細な貴公子、死を予感した憂愁と孤独の人、後鳥羽院の寵児、また北条氏の操り人形などと、文学者の斎藤茂吉小林秀雄吉本隆明らから見られてきた。日本中世史家・坂井氏は、この本でそうした近代的視点でなく、中世人としての実朝を、歴史学の実証性をもって、実朝の和歌にたちいって解明しようとした。
   坂井氏は、幕府政治に背を向け、公家文化に耽溺し和歌や蹴鞠に没頭した文弱な将軍という実朝像を、近年の歴史学をもとに覆している。
  青年将軍は、最高統治者として、朝廷と幕府の融和・公武合体路線を模索し、最終的には源氏将軍を排し、朝廷の親王を鎌倉に下向させ、「東国の王権」を創り出そうとしていた。後鳥羽院とも合意に達しており、親王政権のもとで、自分は上皇のような自由な後見役になろうとしていた。
  北条義時御家人や後見人・大江広元らと始めは協調していたが、次第に攻勢にでて、将軍親裁が強化されていた。建歴3年(1213年)実朝という「玉」を手中に収めようとする側近御家人北条義時一派と和田義盛一派の、鎌倉市街戦である「和田合戦」が起きた。
    大きな内戦で和田一族の侍142人が戦死滅亡、北条方でも侍千人以上が死傷した。坂井氏は、実朝の歌「たまぐしげ 箱根のみうみ けけれあれや 二国かけて なかにたゆたう」は、北条氏と和田氏の間で「たゆたう」将軍の不安を歌ったとしている。
  和田合戦が、後鳥羽院の皇子を後継者にする決断を実朝にさせた。これに危機感を持ったのは北条氏だけではない。源氏の血縁である兄頼家の子・公暁であり、暗殺決行に踏み切る。織田信長の暗殺もそうだが、黒幕説がでる。公暁の黒幕は北条義時説、三浦義村説などいくつかあるが、坂井氏は僧兵上がりの公暁単独犯だとしている。
  坂井氏の本は、和歌を歴史的視点で読み取ろうとするのが面白い。「山は裂け」の歌は当時鎌倉を襲った大地震津波が実体験にあり、後鳥羽院の臨時課税問題に辛苦する実朝が後鳥羽に送った「起請文・述懐歌」だという。
  東国と西国、武家と公家、将軍と御家人の境界人の実朝は、それを融和させようと苦闘したが、暗殺され、承久の乱という武力対決になるのだ。(講談社選書)