平田オリザ『演劇のことば』

平田オリザ『演劇のことば』

   2014年は築地小劇場開業90周年で、日本の演劇は、まだまだ若いと平田氏はいう。日本演劇通史だが、なぜ日本の演劇は熱苦しいのかを平田氏の見方で書いている。明治維新以後、美術や音楽に比べ、近代化が遅くそこで歪みが生じ、戦前戦後には政治性から距離も置けず、成熟しなかった通史を描いている。
   明治の歌舞伎など伝統演劇の改良運動は、国民演劇を創造できなかった。美術のフェノロサ岡倉天心もいず、お雇い外国人もなく、音楽のような唱歌教育も生まれなかった。日本の近代演劇の歴史は、翻訳された言葉・セリフとの格闘だったと平田氏はいう。翻訳劇(擬古文を混ぜた翻訳調)は生活言語と演劇言語の乖離だった。坪内逍遥小山内薫は「国民劇」を夢見たが、成功しなかった。面白いのは平田氏が伝統演劇と西洋近代演劇による「国民演劇」の回答を、井上ひさしにみていることだ。野田秀樹の新作歌舞伎もそうかもしれない
   日本人はこのようにしゃべらない翻訳セリフは「新劇調」という強弱アクセントの喋り方を生んだ。いま北朝鮮アナウンサーの喋りにそれが生きているという平田氏の指摘は面白い。このセリフの問題が、市民に演劇を親しく出来なくさせ、学校に演劇教育を教科化させなかった。
   平田氏は、夏目漱石のような言語的孤独から日本語創造を成し遂げたのは、劇作家・岸田国士だという。「劇的文体」という翻訳調を抜け出した新しいセリフ文体で演劇作品を書いた。例えば『紙風船』。平田氏は、戦後演劇の言葉の西欧近代的論理を突き詰めのは、三島由紀夫の劇作品だと見ている。『熱帯樹』は西欧人でも、こんなに論理的にしゃべらない言語で、日本的情念がしゃべられているという。
   80年代頂点に達するアングラ・小劇場は、未成熟な新劇に無益な対立軸を持ち込み、西欧ロゴスに情念パトスを充溢させた。肉体、無意識、本能、衝動の氾濫。平田氏は、観客の低年齢化が進み、愛と勇気と友情を歌いあげる自分探しの演劇が隆盛し、「少年ジャンプ」になったと手厳しい。
90年代演劇は、人間はそんなに主体的に喋らないといい、関係や環境によって喋らされる私たちを、どう表現するかというコミュニケ―ション(沈黙も含む)になって、初めて演劇のことばが生まれたというのが、平田氏の考えのようだ。「伝えたいことは何もない。表現したいことは山ほどある」。多言語演劇も始まった。(岩波現代文庫)