松岡心平『宴の身体』

松岡心平『宴の身体』

    日本中世史家が、一遍の踊り念仏、バサラ、悪党、田楽猿楽、一揆勧進能といった忠誠芸能の身体論を論じ、世阿弥の身体論を掘り下げている。力動的で、スピーディな早業の躍動する「宴の身体」から、世阿弥による肉体の輝きを否定し、身体の動きを抑制する「動かない」身体への変化を、松岡氏は丹念に追っていく。
    松岡氏は、中世の混沌的・過剰な身体を、まず演劇としての宗教である踊り念仏で描き、さらに日常身体への強烈な侵犯力をもつ悪党的な放埓な行動性を、田楽からバサラ大名・佐々木道誉連歌会や一揆にみようとしている。それが勧進の芸能化により、夢幻能が発生してくる。これらを「宴の身体」と松岡氏は名づけている。
   面白いのは「稚児の身体」への注目である。院政期の幼童天皇から、寺院の少年愛としての稚児崇拝というエロスと官能的身体が現れる。世阿弥東大寺尊勝院の稚児だった。松岡氏は「稚児の美学」から、花・幽玄・しおれの身体美学を説明しているのが面白かった。
   世阿弥が「稚児の美学」から、中年になり精神の内面における集中の持続により、動かぬ身体で、舞台上に宇宙の中心軸として立つ「カマエ」という身体技法に転換したことが、夢幻能の深化を創り出す。腰の蝶番に緊張を集め意識の内部集中にする「仮構的身体」に転換して、能のスリ足が生まれるという。松岡氏は、武道の青眼の構えやスリ足の成立との共通性も指摘している。
   世阿弥が中世では珍しい紀貫之崇拝で、謡曲に貫之の和歌を多く使う。世阿弥足利義満二条良基の稚児・舞童であったことと、紀貫之の母は平安宮廷の舞姫で、自身も稚児・舞童だったという共通性を、松岡氏は挙げている。
    世阿弥が女面の名手(能「井筒」など)であり、貫之が女に扮した日記「土佐日記」を書いたのも似ているといえる。ナルシス的両義性の超克が、古今和歌と夢幻能という芸術を創造したという視点は、多くの示唆を与えてくれる。 (岩波現代文庫