金明仁『闘争の美学』

明仁『闘争の詩学

    現代韓国文学はあまり読んでいない。金芝河や黄翛暎を数冊といったところだ。今回文芸評論家・金明仁氏の『闘争の文学』を読み、80年代の民主化運動のエネルギーが、土台としての痛みを持ち、なお生きていることを感じた。金氏は、ソウル大学在学中に非合法学生運動で、反軍部、反独裁の民主化運動を行い、逮捕され投獄された。83年に釈放されて、文芸評論家として文学論争をリードし、韓国文学評論家として活躍し、いま仁荷師範大教授である。
    この本の「日本の読者たちへ」では、「政治的民主化の30年は同時に、新自由主義的資本主義によって押し進められてきた経済社会的な反民主化の時期」だったと述べ、日本の大震災や原発事故、安倍政治の好戦的古い国家主義を指摘し、日本も韓国も「現在の不安と未来の恐怖」を人々は、共有しているという。「苦痛の連帯、傷の連帯」による痛みの共有を呼び掛けている。
    この本は10年ほど前の評論を集めたものである。金氏は、80年に多数が虐殺された光州事件以後のグローバル化による新自由主義が、大学や知識社会を市場システムの支配下に置いたと述べ、民主政治も「金権社会は事実上、貴族制であって民主共和制とはいえない」と述べている。1987年から一貫した対米従属も指摘している。
    金氏は80年代文学が不幸な隣人に対する共同体的愛情、誤った公的なものへの憤怒や批判、政治的なものに対する生の全体性の感覚があったが、90年代文学は個人化であり自己愛であり、共同体的個人は消え、階級、階層、世代、家族から分離された「単子」文学だと批判する。
    「商品美学」による素材主義になり、出版資本の注文制作になり、作家と出版資本が逆転し、「文学権力」が成立しているという。金氏の文学観は、夢をみることであり、反省することであり、闘うことなのである。90年代文学はミクロ的「解釈」による多元化と洗練化による瑣末主義に陥っている点は、日本文学にもいえる。。金氏はリアリズムと民族文学論をいかに超えるか、リアリズムとモダニズムいかに統合化するかを論じている。
    韓国現代詩人・高銀論、『武器の影』を書いた作家黄翛暎」論、金学鉄論も面白く読ませる。韓国現代文学とは何かがおぼろげながら、浮かび上がってくる本だと思う。(藤原書店、渡辺直紀訳)