宮地尚子『トラウマ』

宮地尚子『トラウマ』

    心の傷、PTSD心的外傷後ストレス障害)という病名と、そのための「心のケア」が、いまや当たり前に使われている。精神科医師で医療人類学の宮地氏が、トラウマという現象を多角的に説明し、被災者や被害者の傷つきをいかに癒すかの「心のケア」の究極は、相手に寄り添い、話に耳を傾け、沈黙も尊重しながら、そばにいることだと説く。
    宮地氏によれば、トラウマ体験とは衝撃的で、通常の適応行動では対処できず長く心の傷として残り、強い恐怖や無力感、戦慄をもたらす現象だという。戦争、自然災害、暴力犯罪、事故、拷問、監禁、児童虐待、性暴力、ドメスティック・バイオレンス、いじめなどで生じる。PTSDはトラウマ体験の一部で、一定期間たっても症状が残り、苦痛が持続する症状をいう。
    トラウマは時間がたっても潜在化し、周囲からの忘却や否認で当事者に孤立感を与える状況を、宮地氏は「環状島」モデルで説明している。特に児童虐待が、発達障害愛着障害、依存症、自傷、恥や罪(生き残り罪責感)などにおいて、取り上げられている。児童虐待がいかに長期なトラウマを残すかが指摘されている。
    ジェンダーセクシュアリティのトラウマでは、宮地氏は公的領域、親密的領域、個的領域に分け、親密的領域のデート暴力も取り上げている。トラウマ治療も綿密にのべられているが、社会における「少数者」へのヘイチスピーチなどをもトラウマとして捉える視点は興味深い。
    加害者が「自分が正しい・正義だ」という正当化が、攻撃性を発揮しやすく、命令―実行の役割分担が、攻撃性を容易にするという。
トラウマから人間の弱さや不完全さを学び、人間のもつ復元力への信頼を持つことを大事だと述べている。
    私が興味を持ったのは、宮地氏がアートや文学、パフォーマンス、マンガ、映画など芸術的創造力によって、トラウマを「昇華」させることを重視している点だ。いくつかの事例も紹介され、「何者」にならなくても、創造するプロセスが大切で、それがトラウマからもたされる想像力と創造性の帰着点と見ていることだ。(岩波新書