小島毅『増補 靖国史観』

小島毅『増補 靖国史観』

   小島氏は中国思想史家であり、私はかって『朱子学陽明学』を読んでいた。だが近年は足利義満織田信長などを、独特な史観で日本史を書いてきた。この本もその延長線上にある。近代天皇思想を、言葉の来歴により「国体」「英霊」「維新」「大義」にわけ辿り、そこから「靖国史観」とは何かを抉り出している。
   靖国神社の思想的根拠は、神道でなく儒教であるという史観を打ち出している。基盤は江戸儒学であり、その中心は会沢正志斉や藤田東湖など水戸学派だという。英霊は大和言葉ではない。水戸学の儒教思想から誕生したとすれば、中国思想が原基であり、中国が非難するという「ねじれ」はおかしことに成る。
   靖国には祭神としての御神体はない。「英霊」の集合体が御神体だから神社ではない。では「英霊」とは何か。小島氏は天皇のためにみずから進んで死んでいった戦士をいい、「官軍」の従軍者だから、維新に功績があっても「賊軍」だった西郷隆盛は祭られない。靖国のなかの軍事博物館「遊就」館も「英霊」とともに、中国古典に由来している。小島氏は靖国の「英霊」は、水戸学の藤田東湖らの死生観で作られた天皇のために戦死した人たちの「気」であるという。朱子学の「理気二元論」からきているという。
   とすれば吉田松陰はわかるが、坂本龍馬は戦死でないから、「英霊」なのか疑問が残る。尊王近藤勇は「賊軍」だから、「英霊」でないおかしなことになる。小島氏は、A級戦犯と一体化しやすいのは、吉田松陰を弾圧した井伊大老など幕府首脳の側でないのかと「ねじれ」を指摘している。天皇が参拝しないのもわかる。怨念死した「御霊信仰」は、靖国にはないのだから。
   靖国は勧王の志士たちを、顕彰するために創建された。天皇制国家という近代の発明なのだ。徳川政権に対する反体制テロリストたちを祭るための施設だと小島氏はいう。それが徳川政権の水戸学派から発しているとすれば、最初から「ねじれ」がある。
   「国体」思想も水戸学から生じ、アマテラスを天祖とする祭政一致国家の万世一系天皇という言説も、国学でなく水戸学からでたことを、小島氏は丁寧に説明している。靖国神社の複雑性とねじれ性が、小島史観で明らかにされている。(ちくま学芸文庫