小澤征爾×村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

小澤征爾×村上春樹小澤征爾さんと、音楽について話をする』

   世界的な指揮者と小説家が.レコードを聴きながら音楽について語り合う。小澤氏は、自分の指揮人生を振り返りながら、バーンスタインカラヤンのもとでアシスタント指揮者などした思い出を話しだす。村上氏は該博な古典音楽の鑑賞者として、小澤氏の話を引き出しながら、自分の古典音楽への鋭い知識を語る。
   村上氏の論理的知識に対して、小澤氏は楽譜のみに集中し音楽のなかにすっぽり入るから、説明は難しいと答える。この対話で、小澤氏の指揮方法やオーケストラや室内楽団の在り方が明かされていく。ピアニスト・グールドやゼルキン、オペラ歌手フレーニなど演奏家についての思い出話も面白い。ニューヨークフィルやボストン、ウィーン交響楽団、サイト・ウキネンなど交響楽団の比較も読ませる。
   作曲家ブラームスベルリオーズ、ベートーベンなどの指揮と楽曲論は深いが、私はマーラーについての二人の対話が面白かった。マーラーバーンスタインが1960年代に、熱心に取り組むまで欧米では聴かれなかったし、小澤氏さえそれまで聴かなかった。バーンスタインの影響で、スコアを集中して読み、強い感銘を受けたという。マーラー演奏の歴史的変遷や、交響曲一番と七番の演奏の難しさをいう。
   マーラーは伝統的ドイツ音楽を崩し、シェーンベルグらの無調音楽に対して、多調性で古典音楽を壊していくと小澤氏は指摘する。マーラーの楽譜の指示は非常に細かいし、音をどんどんナマで原色のように使い、楽器のひとつひとつの個性を挑発的に使うから、指揮者には難しい。だから指揮者によって、演奏に相違がでると小澤氏は指摘している。
   村上氏はマーラー音楽の世界市民性をいい、雑多性、猥雑性、分裂性を語り、ウィーン世紀末芸術やユダヤ的周辺性を述べている。二人は仲良しらしいが、音楽と文学の相違がやはりある。小澤氏は考え込んで、なんとか言葉化して答えようとしているのに、好感をもった。(新潮文庫