黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』

黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』

   ウクライナでは停戦が中止されて、内戦が再開された。戦闘の泥沼化の恐れがある。(「朝日新聞」2014年7月2日付)黒川氏は、1991年ソ連解体での独立を「350年間待った独立」と述べている。1648年ウクライナ・コサックの指導者になったフメリニッキーの蜂起と独立以来ということである。
   黒川氏の本を読むと、ウクライナが周囲の強大国家により何回も侵略され、何度も独立を繰り返し潰されてきた歴史であることがわかる。最初のウクライナ国家の「キエフ・ルーシ国家」も東スラブ人に侵入したヴァイキングによって建国された。だが13世紀にモンゴル侵略でキエフは荒らされ滅ぶ。14世紀半ばから17世紀にかけては、リトアニアポーランドが支配した。貴族の共和制といわれたが、都市には多くのユダヤ人が住んだ。この間モスクワ公国とクリミア汗国が台頭する。
   ウクライナに17世紀に武装自営農民である「コサック」がうまれ、農地開拓を行い、政治的勢力になり、フメリニッキーの蜂起と共和国成立となる。だがこのコサック国家も周囲のオスマントルコ帝国、ポーランドリトアニア連合国、モスクワ公国に囲まれていて、独立を維持するのは難しかった。
   そのためフメリニッキーは、短期的軍事同盟をモスクワ公国と結んだが、これを好機として後のロシアの干渉の始まりとなる。ロシア帝国ピョートル大帝からエカテリーナ女帝時代に、ウクライナはロシアに併合される。18世紀末から第一次世界大戦までの120年間は、土地の8割はロシア帝国、2割はオ−ストリア帝国に支配される。新大陸アメリカへの移民が始まり、いま150万人、カナダでは200万人のウクライナ系住民がいると黒川氏はいう。アメリカの政策に影響しているかもしれない。
   第一次世界大戦ロシア革命によるソ連成立のときは、「ウクライナ中央ラーダ」ができ、ウクライナ民共和国がつかのまの独立を果たした。だが4カ国に分かれスターリン時代は農業集団化で大飢饉がおこり、350万人が死んだと黒川氏は指摘している。スターリンウクライナ語も禁止した。ゴルバチョフソ連大統領にはウクライナ人の血が入っており独立達成の始まりになった。
   ウクライナではチエルノブイリ原発事故が起こり、福島原発と似て中央から離れた地方に建設したソ連のやり方を示している。ロシア革命で粛清されたトロッキーや「屋根の上のバイオリン弾き」の原作者アレイヘムはウクライナユダヤ人で、ナチ占領下虐殺も起きている。作家ゴーゴリはコサックを先祖にもち「隊長ブーリバ」を書いている。ピアニスト・リヒテルウクライナユダヤ人である。日本で有名な盲目の詩人エロシェンコウクライナ人だ。
   内戦が早く終わり、歴史で長く植民地化してきたロシアが、その独立尊重と、内政不干渉を行うことを願いながら、この本を読んだ。(中公新書