内村鑑三『基督信徒のなぐさめ』

内村鑑三(3)
内村鑑三『基督信徒のなぐさめ』

 内村が苦難の時期である明治20年の国粋時代に、キリスト者がいかに「なぐさめ」を得るかを吐露した作品である。内村は第一高中学校の教師として教育勅語拝読式に敬礼をしなかった「不敬」で非難され、学校から諭旨免職され、肺炎になり、看護していた妻も流感で死去してしまう。キリスト教会からも非難される。教育事業にも失敗し貧乏生活に陥る。
 作家・正宗白鳥は後に、あのころの「私小説」であり、詩文としてキリスト教文学として優れていると書いている。(『内村鑑三 我が生涯と文学』講談社文芸文庫)確かに内村の自伝的な心情が、名文で綴られている。「愛するものの失せし時」は、(この本が不敬事件の時「余のためその生命を捨てし」妻にささげられている。)亡き妻への哀歌から始まる。名文である。
   「愛せしものの死せしより来る苦痛はわずかにこの世を失いしに止まらざりしなり。この世は何時か去るべきものなれば今これを失うも大差なかるべし。しかれども余の誠心の貫かれざるより、余の満腔の願として溢出せし祈祷の聴かれざるより余は懐疑の悪鬼に襲われ、信仰の立つべき土台を失い、これを地に求めず、これを空に探て当たらず、無限の空間余の身も心も置くべき処無きに至れり。これぞ真実の無限地獄にして永遠の刑罰とはこのことをいうならんと思えり、余は基督教を信ぜしを悔いたり」
  だが内村は基督の神によりいかに復活し、「なぐさめ」を得ていったかを縷々語る。正宗白鳥は世のすべてを失うことにより、神の心霊への信仰が強まり、悩めるものを愛することが、果たして本当に内村の「なぐさめ」になったかと疑っている。
「国人に捨てられし時」「基督教会に捨てられし時」「事業に失敗せし時」「貧に迫りし時」「不治の病に罹りし時」が、次々と述べられ、逆境にいかにキリスト教の神への信仰が「なぐさめ」に成ったかが説かれている。
 ここには、宗派で争う宗教闘争の無意味さと無教会主義が鮮明に現れている。と共に個人信徒と神との霊的交通と、聖書の摂理がいかに「なぐさめ」の勇気を与えてくれるかを述べ、信仰が生きる喜びになるかを内村は明らかにしている。(岩波文庫