内村鑑三『代表的日本人』

内村鑑三(2)
 内村鑑三『代表的日本人』

  内村は日清戦争の時は「義戦論」を唱えたが、日露戦争には「非戦・反戦論」に転じた。キリスト教ナショナリズムが内村のなかに融合している。西欧的文明開化や富国強兵に対する強烈な批判がある。この本の「ドイツ版後記」に、サムライの子として、自尊と独立が大切で、狡猾な駆け引き、表裏ある不誠実を憎み、金銭に対する執着は諸悪の根源だと述べている。
  キリスト教を宣教師から学んだのではなく、神の選びし業は、日本人の中に流れていて、そこから宗教的人間を学んだという。この本で取り上げている上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹などを読むと、ピューリタニズムの考えが投影されているように読める。ナショナリズム的独立・自尊精神は、西郷隆盛日蓮上人に色濃く出ている。
  内村には前近代・封建制や近代・資本主義を突き抜けた宗教的道徳精神がある。西郷隆盛の「敬天愛人」の精神は「天」を神的に見ているし、人民を慈しみ同じ暮らしをする愛を、明治元勲としての名誉や富裕を投げだし、民衆に奉仕する自己否定的精神として西郷を描いている。
  米沢藩主・上杉鷹山は、財政悪化と、民衆の貧困さを、みずからの倹約・清廉さの行政改革で行い、産業改革もウエーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を思い浮かべるような精神改革で行う。それは、「農民聖者」という二宮尊徳にも見られる。金権政治、道徳精神なき政治家、金儲け至上の資本主義に対して。内村がキリスト教精神で立ち向かう姿勢が、投影されている。
  キリスト者としての内村が、日蓮を代表的日本人として高く評価しているのも、日蓮に見られる宗派を突き抜ける「無教会主義」的側面が共感したのかもしれない。また宗教者として、不正な亡国的権力に対し闘う「ひとり世に抗す」日蓮に、明治のキリスト者の国家権力に従順な姿への批判を込めていたのかもしれない。内村は「闘争好きを除いた日蓮、これが私どもの理想とする宗教者であります」と書いている。(岩波文庫、鈴木範久訳)