バルザック『「絶対」の探究』

 バルザックを読む(7)
バルザック『「絶対」の探求』


   バルザックが好む偏執の情熱(パラノ)に囚われたバルタザールの物語である。フランドルの名家に生まれた人物が、科学上の難題である全物質に共通する「絶対」元素を探求して果たせず、一家を破滅に追い込んでいく。
そこには近代科学者の物理・化学の発見の情熱がある。バルタザールは中世・錬金術と、現代・素粒子学の中間にいる。「絶対」は、現代の原子核やヒックス粒子や統一理論に行き着くのかもしれない。
   20年の年月と700万フランの財産を研究費に費やし、家産を蕩尽し、その苦悩で家族を顧みず破産し、その心労で妻が死んでしまう研究熱は、この小説を「マッド・サイエンティスト」小説しても読むこともできる。死ぬまでその偏執は続き、幻滅と挫折にめげず、中風で倒れ70歳で死ぬときも「発見したぞ(ユーレイカ)」と叫ぶ。
   だが、この小説の凄さは、自分の財産までつかわれ、子どもの資産まで危うくする夫に対して、自己犠牲的な愛情を捧げて死んでいく妻の描写にある。愛情と子供をどう救うかのジレンマのなかで、この聡明な夫人は聖女のように見える。
   と同時にその娘マルグリットが母の死後、弟妹のために破産した一家をいかに建てなおしていくかの苦闘にある。どんなに惨い状況に成っても、自己の研究に家族を顧みず励む父親にも研究を続けさせようとしながら、決断力で一家を再建し乗り切ろうとする娘は、『ゴリオ爺さん』の逆の物語になる。
  この小説は、家庭を顧みない仕事人間の父親と広くとらえれば、現代日本のビジネス社会の会社人間にも当てはまるかもしれない。野心と家族の愛情に板ばさみに成る家庭小説として読める。(岩波文庫、水野亮訳)