片山杜秀『未完のファシズム』

片山杜秀『未完のファシズム

   2014年は、第一次世界大戦が始まって100年に成る。日露戦争が終わり、集団的自衛権でドイツに参戦した日本は高みの見物だった。冷戦期の朝鮮戦争のように、軍需バブルになり、日本は重工業国に離陸する。だが、片山氏はこの戦争が、陸軍軍人の戦争思想に大きな影響を与え、第二次世界戦争の日本の「戦陣訓」にまで影響を与えたと考える。
   日本陸軍は1914年体験として、ドイツの遼東半島・青島攻略戦を行った。片山氏は、この戦役こそ第一次世界大戦の新しい近代戦の火器機械戦・砲弾戦であり、日露戦争の肉弾戦・攻撃精神主義とは根本が異なるとみる。片山氏は、それがどうして太平洋戦争の精神主義、神風、玉砕など現人神の「原理主義」に変わっていったのかを、この本で軍人思想から掘り下げている。
   当時後進国の「持たざる国」の日本軍人が第一次世界大戦に武官として滞在し、いかに未来の戦争を考えていったかを描写している。
   第一は、皇道派といわれた小畑敏四郎。この背後に荒木貞夫将軍がいる。彼らの戦争観は、日本が工業力でも資源でも「持たざる国」であるから、速戦即決の包囲殲滅戦の限定戦争しか「持てる国」には勝てない。政治でも軍の独裁は出来ないし、国民総動員の長期戦は無理であるという現実主義だった。小畑は第一次世界大戦をロシア滞在武官として見て、物量生産が少ないのを、天皇信仰の「皇道」で埋めようとする。
   第二は「統制派」であり、未来の戦争は物量戦、消耗戦、補給重視、新兵器開発の総力・国民総動員の戦争だと学び、「持たざる国」を「持てる国」にする計画経済による高度経済成長という経済主義重視であり、当然政治と軍隊融合主義になる、その代表は石原莞爾であり、石原は満州国に重工業基地を創り、日本を「持てる国」にしてから、1966年の未来にアメリカとの最終戦争を意図していた。
   片山氏が「未完のファシズム」というのは、明治憲法体制が権力の分散化・多元化(国会と枢密院、内閣と枢密院、陸軍と海軍、官庁縦割りなど)で全体主義になりえず、天皇と側近の元老が調整機能をしていたから、ファシズムに行かなかったというのである。このあたりは、もう少し論証が必要だと思う。
  第三に、片山氏は日本の戦争観が、太平洋戦争で「精神主義」にいくことを、中柴未純少将(東条英機のブレーンで「戦陣訓」の筆者という)の思想を紹介・分析して示している。天皇への「融即の論理」と、「玉砕の戦争哲学」を縷々のべている。私は読んでいてアラーの神の融即論理で自爆テロをするイスラム原理主義を連想した。「持たざる国」という後進性を、精神主義で埋める。このトラウマが戦後の高度経済成長主義に反映されている。
   日本においては、第一次世界大戦が合理的・物量・近代兵器の長期戦・国民総動員の思想だと知りながら、非合理的・精神主義神秘主義、奇襲戦に変質していく日本陸軍の戦闘思想を、「持たざる国」の悲劇として読んだ。(新潮選書)