高遠弘美『七世 竹本住大夫』 

高遠弘美『七世 竹本住大夫

  人形浄瑠璃文楽の最高齢、竹本住大夫が2014年5月に89歳で引退した。「まがうかたなき名人である」という仏文学者・高遠氏の住大夫論である。世阿弥が能で言った「枝葉もすくなく老木になるまで花は散れで残りしなり」(「花伝書」)の「老木の花」を感じる。
  この本は住大夫論だけでなく、文楽とは何かをわからせてくれる。奥深き芸の道を極めていく円熟・老成の芸道ばかりではなく、何事も若さを称揚する現代社会に対する対極を見せてくれる。確かに義太夫語りは、60歳を過ぎて老塾しないと底が浅くてきけないという。だが住大夫は77歳から10年間で43作品を語っている。
  高遠氏は、一生が「修行」であり、老いても一期一会の稽古を怠らず、「基本に忠実に素直にやっていく」努力の人として住大夫を描いている。若い時から「口伝は師匠にあり」我流を禁欲し、師匠や先輩に喰らいつき、教えを乞う姿を書いている。
  基本に住大夫は、息と腹と腰それに音遣いをあげている。禅のような座り方から始まり、剣道のいう居合腰の構えで、下腹と腰に力を入れて、息をいっぱい吸って、鼻の裏に抜けさせて眉間から声を出す。悪声でも腹式呼吸で息が前に出ることが、稽古の重点だという。浄瑠璃は声でなく息である。
 この本では「摂州合邦辻・合邦住家の段」「心中天網島・北新地河庄の段」「仮名手本忠臣蔵・山科閑居の段」における住大夫の細部の繊細な「情」の芸が分析されていて、面白かった。
  私は高遠氏の本を読んでいて、能について白洲正子がかいた『お能 老木の木』(講談社文芸文庫)で、友枝喜久夫を論じ「訓練を重ねた技術の向こう側に赤裸々な人間性があらわれる」と書いたのと、共通性を感じた。高遠氏は住大夫引退後に危惧を持ち「人間性を深め、基本に忠実に、決して驕らず、我流を遠ざけ、怠けず修練すれば、まだまだ復活の道は開かれるかもしれない」と書いている。(講談社)