森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』

森川嘉一郎趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

   この本は東京論であり、オタク論であり、秋葉原論でもある。1997年から2008年までの時代の秋葉原の電気街からの変貌を描いた都市論でもある。趣味が都市を変える力を持ち、オタクの個室の都市化が、アキバを「趣都」にしていった過程が生き生きと書かれている。同時に現代建築批判も含まれていると思う。
   何故アキバの市街にアニメ絵の美少女が溢れているのかと、外国人からよく聞かれる回答を森川氏は解こうとする。オタク文化には、キャラクターへの関心が高く、空間への関心が低く、さらに「萌え」にはセクシュアリティが含まれていると森川氏はいう。
   渋谷は外向的で海外志向で、建物も外から見える窓が多く透明化しているが、アキバは内向的で窓は少なく不透明化している。渋谷は、輸入商品や、外国語や外国人モデル看板が多いが、アキバは日本人のアニメ少女や日本語の看板が多く、ネオンも日の丸の赤と白で電気製品も国産品が多いという指摘は面白い。
   アメリカ占領期に電気部品の販売として出発し、家電ブームで電気街に発展し、パソコン誕生とともに、自然発生的に90年代末に急激にキャラクターグッズ、ゲーム、コミック、アニメ、ガレージキッドなど「趣味の構造」による都市に変貌していった過程を、森川氏は詳細にえがいている。私が面白く感じたのは「アメリカの影」がアキバの底流にあるという点である。
   森川氏はいう。オタク文化は文化的権威を、自らの主体に同化させ、コントロールする防衛的・内向文化だという。ディズニーはセルアニメでヨーロッパ童話を徹底して、純粋無垢な「衛生化」し、上位文化を自らの趣味に同化した。その日米の上下文化関係のもと戦後日本で、手塚治虫は、ディズニーが衛生化に使ったセル画の肌合いを、幼女的エロィシズムに使い、その延長線上にオタク趣味は成立している。ポルノ化はディズニーのパロディの手段なのだ。内向的防衛による自己確立ともいえる。
   21世紀に入り、オタク街の中央通りを背後から見下ろすように、官民によるIT企業のセンターとして都市再開発が行われ高層ビルが林立し、オタク化を消そうとしたのも、アメリカ化だと思う。官―民―個人の都市再開発を考えると、個人の趣味・技術の非社会性の自然発生性が、計画的「官」と「民」の力により、押しつぶされていこうとしているのが、「趣都」秋葉原なのではなかろうか。いまやオタクは少数民族化しつつある。(幻冬舎文庫