バルザック『ゴリオ爺さん』

バルザック雑読(6)
バルザックゴリオ爺さん

   この小説は、シエイクスピアの「リア王」に匹敵する「父性のキリスト」といわれ、自己献身的に娘に尽くし、無一文になり、娘に無視されて一人貧しく下宿屋で死んでいく親子の情愛物語と言われてきた。確かに瀕死の状態で、娘が看取りにくることをうわごとで願うゴリオ爺さんのセリフには、涙なしでは読めないだろう。
   だが、私はこの小説は、アメリカン・ドリームにも似た、貧乏な田舎貴族の美貌の青年ラスティニャックのパリ上流社会でのサクセス・ストーリーの幕開けを描いたものだと思う。「成功したジュリアン・ソレル」(スタンダール赤と黒』)の物語なのだ。この青年はドストエフスキーの『罪と罰』の貧乏学生ラスコーリニコフという人物と、それを取り囲む誘惑に影響をあたえているという。名前も似ている。(フォルタシエ『十九世紀フランス小説』白水社
   田舎での純朴で優しい青年を、誘惑するゲイらしい悪党ヴォートランのエネルギッシュで大胆で意思が強い人物は、腐敗した7月王政の社会に、反抗と闘争を仕掛けていく。こういう人物を創造したのはバルザックならではだ。それを警察に売る老嬢もバルザックらしい人物だ。
   ラスティニャックは、田舎に父母と2人の姉妹を抱え出世を望む野心家である。彼の目的は、金持ちの貴婦人と結婚し、上流社会に愛人をもち、馬車を所有し、パリに豪邸を建て、多くの召使を抱え豪奢な生活を営むことである。この小説では悩める優しい青年が、パリ上流社会の金持ちの男爵夫人の愛人になっていく苦心を描く。彼の富は他人の破滅の上に築かれ、男爵夫人のツテで伯爵になり大臣に上り詰めるのだ。
   『ゴリオ爺さん』には、金銭投機により破滅していく貴族や、賭博で愛人の貴族夫人を破滅させる話や、社交界の女王といわれた子爵夫人が愛人に捨てられ田舎に一生隠遁する挫折も描かれている。この後日談は『捨てられた女』で書かれる。だがW・S・モームがいうように、バルザックは「成功を礼賛した」のである。(モーム『世界の十大小説』岩波書店)勇気と決断力と強い精神力による成功。
   だが、ここにはパリの下宿屋と上流社交界の格差問題が、すでに書かれていることも忘れてはならない。親子・親族・結婚などに「金銭と愛情」という非対称的ものを、対称性として導入したのが、バルザックの人間喜劇なのだ。私は現代アメリカのウォール街の金融エリート社会とワーキング・プアの格差社会を重ねて読んでいた。(新潮文庫平岡篤頼訳)