バルザック『サラジーヌ』

バルザック雑読(4)
バルザック『サラジーヌ』

  1968年パリ五月革命後に発表されたロラン・バルト『S/Z』(みすず書房)は、「物語の構造分析序説」であり、バルザックの「サラジーヌ」という中編小説を題材にし、バルザック再創造を行っている。主人公の名前のSとZの記号表現分析から始まり、テクストを561の読解単位に恣意的に細分化し、古典の複数の読みを行っている。
  なぜバルトはこの小説をえらんだのか。この小説はバルザックの物語に多い「入れ子構造」になっている。大金持ちの貴族の舞踏会で、語り手が意中の貴族夫人に謎を待つ物語を語り、愛を手に入れようとする。だが、物語を聞き、謎が解けると夫人はその空虚さに幻滅し、相手の愛を拒否する。その物語はその舞踏会に現れた謎の干からびた小柄な亡霊のような老人に関してのであり、その貴族の邸宅に飾られた美女の絵画の謎である。
  この老人は、若き時ローマで、美貌の去勢されたソプラノ歌手であり、フランスから留学した彫刻家が女性だと惑わされ、恋に落ちて破滅していく物語の主人公なのである。そこには女性と男性の二重性があり「両性具有」がある。二重性による交換の記号性の空虚さは、「性」と「富」の両方で描かれる。
  7月王政時代、貴族とブルジョアという対称性が、相互交換され、貴族の称号も金で買える二重性(両性具有)をもつ。この貴族は、去勢歌手(カストラード)の獲得した財産により、その親族としてパリで羽振り良く生活している。
  「投機による経済現象と、去勢という性的現象とが、ともに空虚な現象」として描かれていると、篠田浩一郎氏は『ロラン・バルト』(岩波書店)で指摘している。だが、バルザックによる「対称的だが合同でないパラドックス」(芳川氏解説より)は、両性具有の天使という神秘主義の原点にも成っていると私は思う。
  バルトが、この小説を再考したのは、バルザックにある二重性、含意性、象徴性、無意識性にひかれたのではないかと考えた。(岩波文庫芳川泰久訳)