松竹伸幸『集団的自衛権の深層』

松竹伸幸集団的自衛権の深層』

  安倍首相が集団的自衛権行使を検討すると表明した日、松竹氏のこの本を読む。集団的自衛権は、自明でもなく当然の権利でもないことを、過去の歴史、国連憲章国際法などを綿密に辿って説明している。なぜ、明文改憲でなく、解釈改憲を先行させるのかの理由まで踏み込んでいく力作だと思う。
  私は、集団的自衛権が発動された冷戦期と冷戦後の歴史を松竹氏の分析により、自衛権というより数々の侵略や勢力圏争いの口実としていかに利用されてきたかを学んだ。松竹氏は集団的自衛権と国連のいう「集団安全保障」とは異なるという立場だ。
  冷戦期「自国と密接な関係にある国」への集団的自衛権の発動は、ソ連ハンガリー介入(1956年)米・英国のレバノン・ヨルダン介入(58年)米国のベトナム侵略(66年)ソ連チェコ介入(68年)アフガニスタン介入(80年)米国のグレナダニカラグア介入(83、84年)など、少数の軍事大国が、同盟国が武力攻撃の対象になっており、支援要請があったとして武力行使をおこなった点に特徴がある。
  だがいずれも国内の自主的国づくりの革命闘争で、勢力圏が崩れるための既成支配層支援の侵略だった。もし日本に反米政権ができ、沖縄基地撤去が実力行使でおこなわれたら、集団的自衛権の名のもとで米国が軍事介入するようなものである。
  冷戦後は、国連が関与する集団的自衛権が特徴だと松竹氏は見ている。例として湾岸戦争(90年)と対テロ・アフガン戦争(2000年)を挙げている。湾岸戦争では、安保理が機能すれば集団的自衛権は不要になり、国連の集団安全保障の戦争が前面に出てきた例だという。国連憲章第51条の個別的自衛権と集団自衛権の二重性が、このため解消された。  
  だが、アフガン戦争は、米国の個別自衛権NATOへの集団的自衛権が要請され、国連の集団安全保障の努力を踏みにじってしまう。それが結果的に、泥沼の史上最悪な戦争にしていく。松竹氏によれば、安倍政権は冷戦期の自衛権観だと述べている。
  国際法では、集団的自衛権には論争があるが、「自衛―侵略」の区別や、なにが「武力行使」なのかなどの定義に統一見解はない。冷戦期のように「侵略」を「自衛」といいくるめ発動する不安はあるし、「武力」に敵地侵略攻撃のための基地使用を入れれば、日本はベトナム戦争時に、すでに「集団的自衛権」を行使していたといえることになる。
  なお最後に書いている松竹氏の日本が行う「対案」は、一考されるべきである。(平凡社新書