ワルドバウアー『虫と文明』

ワルドバウアー『虫と文明』

  アメリカの昆虫学者が書いた人類文明と昆虫の関わりの本である。人間の暮らしに恩恵を与え、喜びを味わわせてくれる昆虫が取り上げられているから、「害虫」は除外されている。人に好かれる昆虫として、テントウムシはアブラムシ駆除の生物的防除の昆虫だという。モルフォ蝶の青色キラキラ光る翅は、青い光の波長と一致する細い筋が翅にあるとみる。蛍の光は、異性間信号だが、メスの信号が他の属のオスを誘うなりすましによって、食べられてしまう「死の信号」にもなる。
  絹のもとになる蚕は、石器時代から知られていたというのは驚きだ。シルクを産み出すのは、蚕だけでなく90万種の昆虫のうち数万種にも達する。蛾、蝶、スズメバチ、蟻、マルハナバチ、クモは野生のシルクを繭や糸でつくる。蚕は特定の桑しか食べない寄生植物特異性が強く、成虫になると大量に食べる。美しい赤の染料を創り、人類に貢献したカイガラムシについての文化史的、産業史的なワルドバウワー氏の説明は、面白かった。カイガラムシは、かつてレコード盤の製品にも使われた。
  この本の中心はミツバチである。ミツバチが作りだす密蝋が、カトリック教会のロウソクに長年使われてきた。メスの働き蜂が処女のまま死ぬのが、聖母マリアの純潔の象徴とされた。蜂が樹木のパルプから紙の巣を作るのを、中国人が知っていての発明になったというのも面白い。蜂がオークの木に作る木こぶがインクの最初になったのだから、蜂蜜以外にも人類は、蜂に恩恵を受けてきた。
  昆虫食や昆虫医療もワルトバウワー氏は詳しく述べている。昆虫民間療法には迷信的なものもある。19世紀まで外科手術の傷口の縫合に、強力な顎で噛みつき放さないハキリアリが使われたという。またキンバエなどの「ウジ療法」は、死んだ細胞を食べる、化膿傷を食べて治す。抗生物質に耐性を持った細菌を、ハチミツが殺す療法は、現代的な課題でもある。
  カイコガなどの昆虫が出すフェロモンという性誘引物質も、昆虫が作り出した生殖のための工夫である。蛍の使う視覚信号、コオロギやキリギリスの聴覚信号など遠隔地でも生殖者を引き付ける知恵を、昆虫は持っている。(築地書館)