『孫子』

孫子

 「彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず」
 「兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」
  フランスの思想家ロジェ・カイヨワの『戦争論』(法政大学出版局)を読んでいたら、古代中国の戦争法として、『孫子』を取り上げていた。孫子は戦争を災危とみており、自衛戦争のみを認めている。戦わないでいかに勝つかが重視されているとカイヨワは見、人は自らの過失により敗れ、他者の過失によって勝者になると節度と中庸の「戦争の倫理」を説き、名誉の規則が重んじられていて、古代中国は「戦争が完全に制御された時代」だったいう。確かに日本の「武士道」や西欧中世のような「騎士道」的な、近代国民戦争の破壊・殲滅戦とは異なる考えが孫子にはある。
  だが、古代中国が戦車の車戦と少数歩兵の戦争から、戦国時代の「弩」という弓矢の騎射戦や何十万人の大規模歩兵戦に変化してきた時、果たして戦争が制御されていたかどうかは疑問である。とくに北方の異民族との戦争には「戦争の倫理」が存在したのかはなお疑問が残る。
 私が古代中国の思想で「諸子百家」が好きなのは、形而上学が無く、現実的、経験的な実利重視の合理主義思想だからである。墨子韓非子荀子などが代表で、孫子も同じである。
孫子は、カイヨワが言うとおり、戦わないことを、争わないことにより勝つ兵法を重要視している。また戦争になったら長期戦は国力を摩耗するから、迅速に和平することを重視さえする。だから、暴力戦よりも情報戦を重んじ、間諜による敵情報の弱点を知り、相手を混乱させていく。「用間編」では、間諜こそ戦争の要というのは、サイバー戦や諜報戦を先取りしている。
 孫子が現実的・合理的なのは、戦場の地形、気候、自然などを具体的に把握し、さらに敵軍の数、形、勢いまで観察して、慎重な熟慮をもって戦術を決定していく方法である。兵法とは、相手の裏をかく詭計だという戦術も面白い。そのためには、自らの味方を充実させ、敵の虚をうつ「虚実の理」を説いている。正規戦と遊撃・ゲリラ戦の組み合わせも孫子が重視するところである。毛沢東の抗日戦争の戦術も孫子的だと、私は思った。(岩波文庫金谷治訳注「孫子」。「世界の名著10、諸子百家中央公論社