池井戸潤『ルーズヴェルト・ゲーム』

池井戸潤ルーズヴェルト・ゲーム』

  企業小説やサラリーマン小説は、戦後の源氏鶏太「三等重役」以来あまり読んだことがない。今度池井戸氏の小説を読み、源氏との相違に気がついた。源氏の小説は、戦後復興から高度経済成長に向かう経済状況における新経営者やサラリーマンの生態を軽いユーモアタッチで描いており、会社・共同体の人間味が溢れていた。池井戸氏の場合は、バブル崩壊後の長期不況下で、リストラや、非正規社員など雇用流動化、国際競争と経営統合というロスジェネ時代を扱うから、日本的経営の共同体が崩れているなかでの悲壮感が漂う。
  この小説の巧さは、電子中堅企業とその企業野球チームの浮沈を、ライバル企業との競争と二重写しにして描いている点だ。株主、会長、社長、専務など経営陣から、各部長職、技術者、社員、野球部監督、選手、リストラ者などのそれぞれの人生を賭けて苦闘する。だが、状況に厳しさはあるが、暗さはない。崩壊していく企業、野球チームを、立て直そうとする新共同意識が強くあるからである。
  この小説が面白いのは、ゲーム感覚が強いからである。アクション映画(例えば007など)は、ゲーム感覚でスリルとサスペンスを扱い、絶体絶命のシーソーゲームで逆転また逆転がある。ルーズヴェルト・ゲームとは、8対7の野球の試合だという。スパイ映画007でも、窮地に追い込まれたボンドが「逆転の技」で敵を打倒していくのが快感を与える。
  この小説では、その技とは野球試合の逆転サヨナラであり、企業では新開発の技術製品なのである。池井戸氏の技術重視もここにある。半沢直樹が時代劇的なら、この小説はアクション映画的である。私も逆転という発想が好きだ。私も『逆転の読書』という本を出版した。諦めない。技を探す。オタク文化的にいえば、この小説は「バトルロワイヤル系」である。
  池井戸氏は、ストーリーテラーとして巧みな作家だが、人間の生きざまを描くのもおろそかにしていない。リストラをせざるを得ない経営陣の苦悩を見事に活写している。池井戸氏の小説が、次々と映画、テレビドラマ化しているのも当然だと思った。(講談社文庫)