秋田巌『写楽の深層』

 秋田巌『写楽の深層』

  ユング派の精神科医が、江戸の浮世絵師・東洲斎写楽深層心理学の手法で論じた本である。写楽は謎の浮世絵師として、これまでその正体探しが数多くなされてきた。近年阿波の能役者・斎藤十郎兵衛に固まりつつある。秋田氏の本は正体探しではない。秋田氏はユング深層心理学を使い、写楽が10カ月の間に百数十点の浮世絵を描き、忽然と消えた謎に迫ろうとしている。
  写楽は、精神的危機に襲われ、いまならセラピストに相談するが、江戸期ではそうはいかないから、「自己絵画療法」により、自己変革・自己治癒によって、一大難事をのりこえたというのである。ユング心理学には、無意識に飲み込まれないための、箱庭療法や絵画療法がある。写楽は、それを自己自身でおこなった特異な人物で、快癒していくとともに浮世絵も変わり、消滅していったと秋田氏は考えている。
  最初の初回絵である「初代大谷徳次の奴袖助」に、男色というセクシュアリティの危機を秋田氏はみる。あまりにも「奴」としては女性性が強い。そういえば、同時代人の平賀源内も男色問題を抱えていた。秋田氏が重視するのは、大首絵「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」で、写楽の自画像と言い切る。
  その「手」の描写の歪みは前々から注目されてきたが、秋田氏は「絶対絶妙のアンバランス」といい、破滅か破格の「破形」の歪みをみる。そこには、何かを襲おうとしながら、ギリギリのところで踏み留まろうとする深層のエネルギーを見る。葛藤と抑止の形。ユングのいう「破形元型」。秋田氏はムンク「叫び」ゴッホ「オーヴェールの教会」と共通する「絶妙のアンバランス」を分析していく。
  大いなる治療輪のなかで、自己絵画療法としての写楽画をみていくから、美術専門家があまり評価していない最終期作品「紅葉狩」や「扇面お多福図」「恵比寿」「扇面老人図」を、自己治癒と回復期の心理が表現されている作品として、綿密に分析されているのが面白かった。(NHK出版)