ジョルジュ・ミノワ『ガリレオ』

ジョルジュ・ミノワ『ガリレオ

  STAP細胞の発見論文の不正疑惑が報道されている時に、ガリレオの伝記を読む。ミノワ氏のこの本は2000年に出ていて、コンパクトにその実像を描いており、ガリレオの亡霊が、三世紀半もローマ教会と闘い続けたことまで追跡していて面白い。私はガリレオに関して書かれたものでは、物理学者・豊田利幸の「ガリレオの生涯と科学的業績」(「世界の名著26卷 ガリレオ中央公論社)が、一番読み応えがあった。
  ミノワ氏はガリレオ伝説を排して実像に迫ろうとしている。例えば、実験主義の伝説でピサの斜塔から物体を落とす落下実験は実践されず、ガリレオの場合ほとんどが「想像上の実験」であったという。感覚的な実験よりも、数学的合理性による仮説を重視した。ミノワ氏はガリレオにとって望遠鏡という道具による観察が重要で、その結果『星界の報告』『偽金鑑識官』が書かれた。もうひとつの伝説である1633年のローマの検邪聖省の審問に屈した時「それでも地球はまわる」といったことも、あり得ないと実証している。
  ガリレオは数学的法則で統御された考え方を重んじ、オカルトや遠隔作用、宗教的不合理を信じない時計のような正確な「機械論的宇宙観」の持主だったとミノワ氏はみている。同時に原子論的物質構造観の持主でもあった。絶対的知識はなく、常に進歩していく漸進的知識観を持っていた。
  そのためニュートンケプラーのような引力の遠隔作用による科学法則を作り出せなかったと指摘している。だが磁石の磁力には関心があった。ミノワ氏は、科学方法論としての業績がガリレオには大きく、その思想としてはデカルトに匹敵する兄弟のようだという。
  ミノワ氏の本で面白かったのは、デカルトの文学的才能であり、科学啓蒙家として一般大衆に科学を普及しようとした自由思想家としての面を強調していることである。『天文対話』『新科学対話』は、プラトンの対話編のように、演劇作品として読める。私は中江兆民『三酔人経綸問答』を連想した。
  この「宣伝マン」としての情報活動が、ローマ教会の不審を買い、禁書や異端審問に追い込まれていく。キリスト教側は、集団的力を使い、ガリレオはたった一人の個人的な「言論の自由」の闘いで敗れていく。20世紀になっても、哲学者コジェーブやミシェル・セールまで新キリスト教護教論で、ガリレオ否定をしているのに驚いた。(白水社、クセジュ文庫、幸田礼雅訳)