『まど みちお詩集』

『まど みちお詩集』
 「いちばんぼしが でた うちゅうの 目のようだ ああ うちゅうがぼくをみている」
 「太陽 月 星 そして 雨 風 虹 やまびこ ああ 一ばん ふるいものばかりが どうして いつも こんなに 一ばん あたらしいのだろう」
   詩人・まど みちおが、2014年2月に亡くなった。まどは、宇宙生命を歌う詩人である。「一ばんぼし みっけた」や、「かがみ」では、「この地球のうえには ほうぼうに置いてあります 海や 川や 湖水など さまざまな美しいかがみが」や、「ああ何なのだろう 太陽の光というのは 地球の夜を 消し去って 無いかのようにして ここにある 昼の この限りない大きな やさしさは!」は、宇宙が身近な生命体として迫って来る。
  「虹」という詩では「にじ にじ にじ ママ あの ちょうど したにすわって あかちゃんに おっぱい あげて」や、「つきの ひかりの なかで つきのひかりに さわれます」と歌い、「うちゅうの どんなところにも とどいている みえない しらない おおきな手のことを おもいながら」という。私はまどの詩を読むとラブロックの「地球ガイア論」を感じてしまう。
  一茶の俳句のよな小さな生命への畏敬がある。それがユーモアとナンセンスの詩法で描かれている。「するめ」という詩。「とうとう やじるしに なって きいている うみは あちらですかと」や、「ネコ」では「あくびをすると ネコのかおは花のようになります」。
  「ナメクジ」ではナメクジラとお婆さんがいうが「なるほど ぎんの波 ひとすじ 口笛の ふんすいふきあげながら すべっている クジラのように どうどうと」と歌う。
  「おなら」の詩。「おならは えらい でてきた とき きちんと あいさつする こんにちはでもあり さよなら でもある あいさつを」。ユーモアで笑ってしまう。
  まどの詩は哲学的だ。「やぎさん ゆうびん」や「おさるのゆうびん」は、手紙の誤配・遅延など、コミュニケーション不全を歌い、哲学者デリダ東浩紀『郵便的不安たち』(朝日新聞社)をさえ暗示している。こんな分析をすると、まどは、「ものがさきなのだ ずうっと せんぱいなのだ いつだって ぼくらの りくつよりは」(「たまごが さきか」)と怒られてしまうだろう。(ハルキ文庫『まど みちお詩集』)