チャンドラー『長いお別れ』

チャンドラーを読む①
レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』

 「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」
 「ほんとのさよならは悲しくて、さびしくて、切実なひびきを持っているはずだからね」
  アメリ推理小説の古典で1954年に出ている。この小説には、第二次世界大戦による「失われた世代」の空虚さがにじみ出ている。チャンドラーが描いた「戦後文学」なのだ。富豪も、アル中毒の破滅型作家も、警官も、美女も、容疑者も、探偵も、出てくる人物はみな戦争の影響を受けた歪んだ性格をどこか持っている。「豊かな社会」の最盛期が始まっていたのに、どこか空しく寂しい。
  富豪の娘を妻とし、その殺人容疑でメキシコに逃亡せざるを得ないテリーは大戦中、ノルウェー戦線で戦友を助け、負傷し傷を負い、ナチスの捕虜になった過去を持つ。そのテリーに助けられた戦友2人は、戦後ラスヴェガスやハリウッドでギャングのボスになり、「友情」から彼のメキシコ逃亡を助ける。テリーは戦争中、ロンドンで愛し合った美女アイリーンと秘密結婚をしていた。戦後にアイリーンはテリーが死んだと思い、作家と結婚する。他方、収容所から逃亡を果たして助かったテリーは、富豪の淫乱な娘と結婚する。その二人がロスで再会したことにより、殺人事件が起こる。
  空虚さを抱えながら、ハードボイルドに孤独に挫けずに生き抜く探偵マーロウは、テリーと「つかのまの友情」をひょんなことで結び、そのため事件の謎を解いていく。友情と別れ。この小説の主題は「別れ」である。最後のセリフ「警官にさよならをいう方法はまだ発見されていない」。警官やギャングだけが暴力的なのではない。戦争国家では、市民社会にも暴力が根深い。
 この小説が面白いのは、アメリカ文明批判が随所にでてくることだ。チャンドラーが英国生活との二重性を持っていたから、アメリカ批判を外部の視点で出来たのかもしれない。探偵マーロウそのものが、アメリカ社会(ロスアンジェルス)での外部者(境界人)であり、冷静な批判者である。私が面白かったのは、富豪も警官も作家も美女も、それぞれのアメリカ文明批判の一家言を述べるところである。
  私立探偵マーロウは、暴力にも強いが、ロマンティックな優しい人物だと思う。「暗い夜に泣いている声を聞くと、なんだろうと見に行く。そんなことをしていては金にならない。他人がどんなに困ろうと、首をつっこまない。首をつっこめば、つまらない濡れ衣を着るだけだ」といいながら、友人を救うため首をつっこんで、濡れ衣をきていくのだ。(ハヤカワ文庫、清水俊二訳)