『吉野弘詩集』

吉野弘詩集』

   「ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと 胸が熱くなる そんな日があってもいい 
そして なぜ胸が熱くなるか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい」(「祝婚歌」から)
   詩人・吉野弘が今年1月に亡くなった。吉野の詩は優しい言葉を使い、日常の生活のなかから歌う。だが、日常感覚の底に、生まれるとは何か、命とは何か、他者との関係とは、自然の営みとは、という深い存在論が浮かび上がってくる。
  「I was born」という詩では、英語を習い始めた少年が父と歩いていて、身重な女に逢い「頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを」を見て、受身形の「I was born」に気付き「正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね」という。父はカゲロウのメスが死ぬ前、卵をぎっしり充満している腹の話を語り、「ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体」で終わる。始原的な生命観。
  「夕焼け」という詩。電車のなかで老女に席を譲る少女を歌う。「やさしい心の持主は いつでもどこでも われにあらず受難者になる。 何故って やさしい心の持主は 他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから」何回も立たされることに嫌気がさし譲らなくなった少女「娘はどこまでゆけるだろう 下唇を噛んで つらい気持で 美しい夕焼けも見ないで。」と歌う。
   吉野の詩には、どこかユーモアが漂う。「言葉いろいろ」や「漢字遊び」という詩集は吉野の言葉の感性が鋭く歌われているが、私は何回も噴き出したくなる笑いを感じた。漢字を分解して遊ぶ詩。「恥」は「心に耳を押し当てよ 聞くに堪えないことばかり」。「忌」は「忌むべきものの第一は己が己がという心」・「惹」は「若いほうへと 気も向くさ」。「静」では、「青空を仰いてごらん。青が争っている。あのひしめきが 静かさというもの」。
    「わたしたちは 日常という名の水の面に生きている 浮いている。だがもぐらない もぐれない。日常は分厚い」(詩「みずずましに」より)が、吉野の詩に現れている。(ハルキ文庫)