ダンカン・ワッツ『偶然の科学』

ダンカン・ワッツ『偶然の科学』

 社会科学は、「ネットワーク科学」や「複雑系社会学」で果たして変わるのだろうか。いまこの分野で「スモールワールド」論を展開したワッツの社会学論である。ワッツは「常識を用いるな」という。企業や文化、市場、国民国家、世界規模の組織がからむ「状況」は、日々の状況とは違う複雑性を呈する。このとき常識は数々の誤りを犯しているが、常識に基づく推論の欠陥に気付かない。「その時は知らなかったが、あとから考えると自明」のようにおもわれる」という。
  社会システムは相互作用に満ちている。だから、代表的個人(専門家や影響者、カリスマなど)の個人の力に還元できない。ベストセラーも、その「質」でなく、誰かが好めば、ほかの人も好みやすい状況による「累積的優位」により成立する。ワッツによれば、集団内の個人の好き嫌い、経験、信念、希望、夢など知りつくしても、集団の行動は予測できないという。
  ワッツの手法は、これまで実験が出来ないとされた社会実験を、発展したコンピュータ・ネットワークで「仮想ラボ」を設定し、おこなう実験社会学を開発したことである。その結果、社会的感染を調べ、本をベストセラーにし、製品をヒットさせる影響力の強いインフルエンサーは、タイミングと状況の偶然により生まれる「偶然の重要人物」に過ぎないという。
  歴史も一度しか起きえず、実験は出来ない。ワッツは歴史は因果関係の説明でもなければ、ありのままの記述でもない、史実とそのほかの観察できる証拠の制約を受けた「物語」であり、複雑、偶然、曖昧よりも単純明快な決定論を重視しやすいともいう。
  未来と過去は別物であり、過去を起こったものしか見ず、起こらなかったことを見ない。未来も「可能性の糸の束」のようなもので、ブラックスワンのような事件を予測するためには、事件そのものでなく、それを意味づけしてくれる社会過程の結果まで予測しなければならなくなる。ワッツには、哲学者ヒュームのように、因果関係や予測への懐疑が強い。
  ではどうするか。ワッツは予測よりも、現在の「測定と対応」を重視し、現場の知識を重んじ、さまざまな戦略上の選択肢に投資して偶発的な要素にそなえる「戦略的柔軟性」を提案している。
  社会事象の要素をすべて「測定」するのは不可能だが、いま、Eメールや携帯電話、インスタントメッセンジャーなどの通信技術は、数十億人の個人の社会的ネットワークと情報の流れを暗黙のうちに追跡できるから,或る程度の測定が可能になり、社会学も変わるかもしれないとワッツは見ている。(早川書房、青木創訳)