シービオク『シャーロック・ホームズの記号論』

シービオク『シャーロック・ホームズ記号論

  アメリカのプラグマティズム哲学者パースと、探偵ホームズとの思考方法の共通性を比較した面白い本である。パースは記号からの「推測」を重視し、その考えをホームズ探偵は実践していくというのが、シービオク氏の見方である。
  われわれの知識の全体が、純粋の仮説を帰納推理によって確認し、一歩ごとに推測を行うことがなければ知識は進まない。パースは「当て推量」を、われわれは観察から真理はこうであるという強い予感を持つことから始まるという。推測とは、世界の諸相の間に、無意識のうちに、つながりを知覚することで、メッセージの無意識的なコミュニケーションに基礎をおくともパースはいう。
  ホームズは『四つの署名』で「推理の科学」を説く。ホームズの細部を見る桁はずれの観察力と、パースが「当て推量」と呼んだものとの複雑な組み合わせが推理を産み出す。シービオク氏によれば、「彼はその当て推量をもとに、論理の重荷を最小限に切り詰めながら、さらに観察を積み重ねることによって、仮説から引き出した予測を検証し、ありうるだろう結論の数を思い切り絞り込む」ことができるとい述べる。
  ホームズの仮説形成は検証抜きには成立しない。『まだらの紐』で「不十分なデータにもとづいて推理することは危険」といわせ、当て推量から検証へ、そしてまた当て推量へという連鎖を貫きとおす能力を述べている。ホームズは観察自体が推理の一形式なのだ。『ボスコム谷の惨劇』でホームズは「僕のやり方は知っているだろう。些細な点の観察をもとにするんだ」という。
シービオク氏によると、パースとコナン・ドイルのこの共通性は、二人とも当時の医学の症例から病気を診断する手法から得られたものだという。データの搾取、誤魔化し、手直しが、堂々と行われていた。
  パースは①サンプルは或る特定のクラスからとらなければ、適切な帰納推理はおこなえない②症例数が単純な帰納推理をするのに少ない③その症例が伝え聞きの可能性がある場合間違う④すべての症例に共通の属性というのは至極曖昧である⑤従来の症例についてわかつているより多くの属性を、手元の症例に与えたがるなどが、間違いを産むと述べている。
  最近日本で起こっている薬の臨床実験のデータ操作や、科学論文の画像二重使用など不適切な問題を見ると、科学は「いかに、どのように」形成すべきかが問われていると思う。もう一度じっくりとホームズを読んでみたくなった。(岩波現代選書、富山太佳夫訳)