『草野心平詩集』

草野心平詩集』

  福島県いわき市の出身の詩人草野心平(1903−1988年)が経営していた新宿御苑近くのバー「学校」に、40年前に数回飲みにいった。でーんと座ったがっしりした心平さんが居たのを覚えている。福島というより中国大陸の匂いを感じた。
  草野の詩は、時空が永遠で無限である。「天」の詩であり「海」の詩であり、「富士山」の詩であり、「中国大陸」の詩であり、生物(蛙)との共生の詩だ。福島原発の影も形もない戦前、「原子」という詩で「核は一つの星。精力は星の。雲の渦巻。」と歌い、「猛烈の天」では「血染めの天の。はげしい放射にやられながら。飛びあがるように自分はここまで歩いてきました。帰るまえにもう一度この猛烈な天をみておきます。」と書く。
  「わが抒情詩」では「暗い天だ底なしの。くらあい道だはてのない。どこまでつづくまつ暗な。電燈ひとつついていやしない底なしの。くらあい道を歩いてゆく。」今読むと詩的直観で原発事故さえ予言していたように読めるから、不思議である。
「海」という詩。「きのふに続いて海は古く。ますます青く新しく。億萬のきのふやけふを。海唸り。海は怒りの歌を歌い。」「そうしてずうんと深い底の底の。海底の。歯ぐきは暗く。千尋の重みを支えている。」と海の恵みと残虐さの両義性を歌う。「浦安ニテ」では「枯蓮ト葦ノ。浦安ノ町ノハズレノ一本道を泥海マデ。ヒトリデ俺ハイツノマニカキテイタノダガ。アア。アノイツカノ。青光シタ白磁の富士。」と液状化を予測したように「アルミノ海」という。
   蛙など生物語の詩は、私が好きな詩だ。蛙たちの「誕生祭」では「ぎやわろつぎやわろつぎやわろろろろりつ」という蛙語が24行も続く。声をだして読むと蛙になったように思えてくる。擬声語のナンセンスではない。「ごびらつふの独白」では「るてえる びる もれとりり がいく。」から全文蛙語で書かれ、その「日本語譯」の詩が次にある。「幸福とはたわいなくつていいもんだ」で始まる蛙の独白なのだ。
  動物を人間と同じ生物であり、人間よりさらに時間長く生きている始原的生命と捉えている。動物との共生を感じる。
  草野は1922年中国・広州の嶺南大学に4年留学し、排日運動を経験したが、草野は中国大陸の広大な自然や永劫の時間のなかで生活する民衆を歌い、戦後も日中親善をくずさなかった。「高家村」ではこう書く「自分の家を焼かれてしまった日本につながる日本人に卵を油で揚げてくれたりお茶をくれたりつぶらなまなこで笑ったりする陳の老母のこころというふものはなにものだろう」(新潮文庫豊島与志雄編)。