岡井隆『正岡子規』

岡井隆正岡子規

「こいまろぶ 病の床のくるしみの 其側に 牡丹咲くなり」
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな」
歌人で医師の岡井隆氏が書いた正岡子規の和歌論では、俳人・蕪村のような様式性や浪漫性に子規は近いという考えである。明治時代の転形期の詩人・俳人歌人であった子規は、その革新主義に重点を置かれ、万葉調復権写実主義で捉えられてきた。
  だが、岡井氏は、新古今好みのロマネスクの様式美、物語のある歌、「言葉」よりもデザインとしての「趣向」の面を重視していると考え、子規の異なる面を注目している。
  子規の歌には「連作」が多い。岡井氏は、連作は様式の美しさに支えられた「趣向」の面白さにあると見ている。『墨汁一滴』にある藤の花10首連作。「瓶にさす藤の花ぶさ みじかければ たたみの上にとどかざりけり」から始まる連作は、子規が病人で動けない状況で「部分の注視とその拡大強調」ということになる。   
  「死の予感」を感じさせる「しいて筆を取りて」では生命の限界にたって、子規という病者の向こう側の植物を眺める「趣向」で、写実とはほど遠い。「世の中は 常なきものと 我愛ずる山吹の花 散りにけるかも」
  不治の病に侵され、苦しみ死を予告される。私が興味深かったのは、岡井氏が、喉頭がんと宣告された思想家・中江兆民が『一年有半』を同時代に書いたことに、やはり結核カリエスで病床に寝たきりの子規の『仰臥漫録』による批判した点にふれていることである。子規は兆民の文を「平凡浅薄」といい、「美」と「楽しみ」がなく、「理屈」に偏り過ぎていると述べる。
  七転八倒し、苦しみわめく子規に対して、兆民の冷静な強さの在り方は対照的である。だが岡井氏も言うように、子規も兆民も同じ四国出身の士族であり、病苦で兆民は妻と入水自殺を考え、子規は鎮痛の麻酔薬を服用しながら自殺や安楽死をほのめかすことを書いている点には共通性がある。ジャーナリズムの世界の人だったという共通性もある。私は兆民が自由民権のリベラルな考えに対し、子規が国民主義的日本主義だった思想の違いを見たい。二人は1年違いで死ぬ。
明治の転形期に「病者の光学」による二人の名著が出たことに、偶然とはいえ驚く。(筑摩書房「近代日本詩人選」)