林達夫『林達夫評論集』

林達夫林達夫評論集』

   林達夫(1896−1984年)といえば。「ファーブル昆虫記」の共訳者であり、「思想」(岩波書店)や「世界大百科事典」(平凡社)の編集者であった批評家である。いま中川久定編の岩波文庫版を読んで、その多声性・複合性(ポリフォニー)と、専門性の仕切りを取り外した「野生の思考」(中川氏の解説)に驚嘆した。硬直化した専門家知性に対し「反語的精神」という文章で「自由なる反語家は柔軟に屈伸し、しかも抵抗的に頑として自らを持ち耐える。真剣さのもつ融通の利かぬ硬直に陥らず、さりとて臆病な順応主義の示す軟弱にも堕さない。」と書く。
  「自己を伝達することなしに、自己を伝達する。隠れながら顕われる。顕われながら隠れる。それは一つの、また無限の『ふり』である。」という。「デカルトのポリティーク」という文では、「仮装された順応主義」をデカルトに見ている。「自己を語らなかった鴎外」では、自己を諦念の仮面にかくしながら、「澁江抽斎」で反語的に自己の知識人生活を語ると見る。
  反専門精神は横断的思考で自由に精神を見ていく。それはアカデミズム中心でなく知的アマチュア精神が大学教育に必要との主張になる。(「十字路に立つ大学」)「知の考古学」の先駆けともいうべき「精神史」では、ブラトンの洞窟の思想やダ・ビンチの「岩窟の聖母」から、野生の思考の方にさかのぼり生動的、流動的に考察していく。縦横に飛び回る該博な知識によるルネスサンスの解明には舌を巻く。
  私が面白かったのは「ベルグソン『笑い』解説」「ベルグソン以後」の2作品である。林はベルグソン『笑い』の翻訳者である。ベルグソンは、自動的なもの、こわばったもの、機械的なものに対し、生の自発性、流動性の発露として笑いを捉えた。それは「生の躍動」思想だが、モリエール喜劇が土台になったため、ホッブス的な他人に対して瞬間的に優越感を抱いた時の笑いが抜けていると林はいう。またラブレーシェイクスピアに見られる民衆の「祝祭的笑い」も扱わないという。
  さらに柳田国男「不幸なる芸術」の「微笑み」の笑いもベルグソンにはないといい、フロイト「機智論」まで発展していく。文化人類学レヴィ=ストロースが「ベルグソン哲学はスー族の哲学を思い起こされる」を引用し、野生の思考による「精悍な喜劇精神」の考察までしている。わたしは、先に亡くなった文化人類学者・山口昌男との類比をしてみたくなった。恐るべき横断的な林の精神である。(岩波文庫中川久定編)