井出洋一郎『「農民画家」ミレーの真実』

井出洋一郎『「農民画家」ミレーの真実』

  「晩鐘」「種まく人」で有名な画家ミレーは、教科書にも載り、「道徳・信仰・清貧・農民」のイメージが根付いている。生誕200年になる今、「画家」としての真のミレーに迫ろうとした本で面白い。井出氏が、日本で「種まく人」やミレー作品を多く所蔵している山梨県立美術館の学芸員だったし、「ミレー神話」を創り出したサンスィエの伝記の監訳者だから説得力がある。
 「農民画家」とされてきたミレーは油絵約400点のうち、農民を描いたのは100点足らずで、肖像画、風景画、歴史画、風俗画など多様であり、貧乏で信心深い農民画家のイメージが何故造られたかについての井出氏の分析は鋭い。ミレーがパリを棄てて、60キロ離れたバルビゾン村に移ったのは、最初の社会主義革命の萌芽の2月革命の騒乱による。その後、右派のナポレオンのクーデタで共和国が崩壊する激動期だった。井出氏は資本主義工業化にたいし、農業軽視の状況に農民単独像を描いたミレー農村画の革新性は注目している。だが、「農村の画家」だけでなく「大地の画家」であり、大地の生命力を描く環境に縛られた人間の内なる自己実現をその絵に見る。
 さらにミレーは、「地球環境の画家」として、人間と自然つまり空と雲、海と大気の流れをパステル画で表現していく。印象派の先駆けだ。エコロジストとしてミレーは、フォンテーヌブローの森を針葉樹化して開発する事業に画家のルソーとともに立ち上がり、美観地域に指定し森を守った。井出氏はミレーの風景画には故郷ノルマンディのグリュシーを描けばバルビゾンが浮かび上がり、バルビゾンを描けば故郷が下敷きになるダブルイメージがあるという。故郷を喪失した漂泊者のものだとみる。
  井出はミレーの故郷の「グレヴィルの断崖」の場所を訪ねるが、そこは原発が建てられ、方々に「立入禁止」の髑髏マークのある立て札が立っていた。ミレーが生きていれば原発反対運動をしていただろう。
 ミレーブームと「ミレー神話」は、アメリカが造ったという井出氏の見方は興味深い。「晩鐘」はボストン出身の作家の注文で描かれた。今もボストン美術館には多くのミレー作品がある。井出氏は、ピューリタン精神の「努力=勤勉」「情熱=信仰」というイデオロギーが、ミレー神話と親和性があつたと述べている。納得できる解釈である。(NHK出版新書)